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[POV: a Point of View]
渚にまつわるエトセトラ
DOP in Oshima’s film(創造社解体以降)

主義主張ばかりが得てして取り上げられるが大島渚は技法にこだわる監督でもある。107分を43ショットで撮った『日本の夜と霧』の対極に99分を1500(約)ショットで撮った『白昼の通り魔』があったりする。そんながチョイスした撮影監督たちとは…。A:宮島義勇in『愛の亡霊』 B:成島東一郎in『戦場のメリークリスマス』 C:ラウール・クタールin『マックス、モン・アムール』 D:栗田豊通in『御法度
C★3はなればなれに(1964/仏)物語を語るのにてらいがあっては観客は白けるのだ。ゴダールはわざとゴッコの振りをし、若干のカリーナへの色気を交えておどけてみせるが正直醜悪である。ただ他の何本かの崩壊し切った代物よりは多少物語の態を成してはいる。投票(1)
C★3彼女について私が知っている二、三の事柄(1966/仏)パリ郊外で圧倒的質量ですすむ再開発とニュータウンの主婦売春。コンセプトは驚くほど分かりやすく魅力的なのに、哲学的モノローグを散りばめ強引に自問自答の展開へと持っていこうとしている。投票(1)
C★2突然炎のごとく(1962/仏)偏執的物語を見ることは嫌いじゃないのだが、ミーイズム女とマゾヒスト男達が繰り広げる恋愛編年記に対してトリュフォーの視線は冷めておらず寧ろ自己陶酔しており、技法はそこに絶対的奉仕を強いられている。これでは遣りきれない。投票(2)
C★2女と男のいる舗道(1962/仏)娼婦であるというリアリズムが、ドライエルを見て涙し哲学者と会話するゴダール脳内醸成された「女性」と乖離しまくる。見てて恥ずかしくなるような青臭さ横溢。カリーナ愛はけっこうだがジャンル冒涜の連作の1篇。投票
C★2メイド・イン・U.S.A.(1966/仏)政治的であらんとする真性ロマンティストゴダールが、その歪んだ断層を埋められずに諧謔に逃れようとしたが自己崩壊した愚作。カリーナとのコンビネーションも黄昏感濃厚で、60年代ポップアートの最良具現化と言えるクタール撮影が勿体ない。投票
C★1小さな兵隊(1960/仏)アルジェ解放をめぐり敵対する解放勢力と極右軍組織という切実な題材を用いながらスパイごっこ映画しか作れない映画オタクは結果ベクトルをカリーナを女神と崇め奉ることでしか自らを語れないらしい。しかも、ごっこにしても恥ずかしいくらいに下手っぴ。投票
C★1アルファヴィル(1965/仏=伊)大の大人のSF飯事。ハードボイルドに無機的な世界を描こうとしても否応なく愛に飢えたメンタリティが介入する。技術的にも中身の文明論にしても未だ稚拙。ゴダールにとって甘さに恥じらい無き時代と乾いて先鋭化する時代の端境期の惰性が産んだ愚作。投票(3)
D★5御法度(1999/日)時に自走に任せつつ下すべき裁断は怜悧に。物語内の組織統御論と大島自身の映画製作に於けるそれが理想的に同期する。画面に漂う緊迫感は久しく無かったものだ。嘗て反駁した筈の先世代のイズムに長い道のりの果てに辿り着いたそれは驚く程黒澤的。投票(1)
D★4お引越し(1993/日)少女彷徨3部作の掉尾とも言える終盤の琵琶湖畔には些かの食傷を覚えるが、狸顔少女への偏愛の凝結点田畑智子の発掘はセンスと言うしかない。両親に無臭な中井桜田を配したキャスティングも自然体の境地を思わせる。栗田のカメラが艶やか。投票(1)
D★4クッキー・フォーチュン(1999/米)1人の死から巻起るドタバタの主線は娘姉妹の筈だが何故か拡散し出した流れは姪と本筋からズレた挿話に全て持って行かれる方向性の定まらなさ。しかし、そんなことがどうでもよくなる南部アメリカの日向の午睡の如き茫洋感が全ての欠如をカバーして余りある。投票
注:観た映画のみで編集。
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