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小山龍介さんのコメント: 投票数順

★4ビューティフル・マインド(2001/米)映画はフィクションである、という当然のことをちゃんと理解したうえで作り上げられた虚構と現実の反転劇。 [review][投票(24)]
★4少林サッカー(2001/香港)無理な体勢で止まっている、というだけで笑える。動いているより止まっているほうがよい。[投票(16)]
★5ヤンヤン 夏の想い出(2000/台湾=日)エドワードヤンのつつましさ [review][投票(16)]
★5モンスターズ・インク(2001/米)モンスターズ・インクの保守本流さ加減からすれば、なぜアカデミー長編アニメ賞が『シュレック』なぞに与えられたのか不思議でならない。アメリカで遅れてリバイバルされた『E.T.』との比較は、モンスターズ・インクの優秀さを証明するものになるだろう。 [review][投票(10)]
★5トカレフ(1994/日)偶然について、この「トカレフ」は、まったく説明をしない。偶然を偶然のままさしだす。それを捉える抑制されたカメラの力強さ。この「偶然」の「宿命」への転化は、阪本監督がこの「抑制」を貫くことで生まれた。[投票(8)]
★5グロリア(1980/米)映画の運動性が、スローモーションになった瞬間に、こらえきれずにフィルムからあふれでてくる。運動が作意を超える瞬間。それはもう、カサヴェテスのひとつの到達点デス。[投票(6)]
★5三月のライオン(1991/日)ファンタジーは現実との合わせ鏡。破壊、破滅のモチーフを重ね合わせながら描いたファンタジーは、こうも人の心を打つのか。[投票(5)]
★5アンダーグラウンド(1995/独=仏=ハンガリー)すべて過剰なものが、すべて必然的なものだと理解できる。この過剰でもってすら表現できないある種の「過剰性」を、民族紛争に見る。[投票(5)]
★5桜桃の味(1997/イラン)自分勝手な「死」に対する強烈な平手うち? 眠ったふりするくらいなら生きろ!と、キアロスタミは何に対して言っているのか? 眠った振りする映画の、目を覚まさせる快作。[投票(3)]
★4シュレック(2001/米)「アンツ」のリベンジ版としては、出色の出来。なんといっても、ディズニーランドへの皮肉!コンピュータのアンチMSになぞらえて、このアンチディズニー映画を、「ハッキング映画」と認定します。 [review][投票(2)]
★5クレーヴの奥方(1999/仏=スペイン=ポルトガル)視線と動作、迷いのないカメラワーク。無駄がない、やりすぎがない、という点では老練ではあるのだろうけど、この実験精神は!不安定な構図のアップもオリヴェイラにかかるとそれも必然。[投票(2)]
★5傷だらけの天使(1997/日)阪本が「大阪」のモチーフを放棄したときにすばらしい映画ができあがるのはなぜなんだろう。「トカレフ」しかり。暖かく描いてはいるが、この映画は「帰る先のない不安」が執拗に繰り返される。「大阪」がもたらす「帰る先」としての安心の有無が、良くも悪くも阪本映画の重要な要素になっているのではないか。[投票(2)]
★5チャーリーとチョコレート工場(2005/米=英)ティム・バートン監督の新作「チャーリーとチョコレート工場」は、すばらしいファンタジーで、僕の隣にもそうしたファンタジーが広がっていると気づかせるに十分なしろものだった。 [review][投票(1)]
★4E.T.(1982/米)感情と映像が結びついた幸福な瞬間。特殊な映像が人の感情を置いてきぼりにしてしまう前の、もはや「古きよき時代」と呼んでしまいそうな、そんな映画。[投票(1)]
★5アメリ(2001/仏)やたー!痛快というほかなかった。 現実の中に非現実が入り込んでくるあたりのジュネらしい手触りがまた味わえるなんて!CGIバリバリ使うハリウッド映画と対照的な抑制の効いたCGI表現。テクノロジーに振り回されちゃだめなのよ。[投票(1)]
★5阿賀に生きる(1992/日)表向き、笑いあり涙ありの人情映画が見せる、冷徹な瞬間。 [review][投票(1)]
★4A.I.(2001/米)人の作り出すモノという意味で、高度なCGTと高度なAIとは、ある同じ命題を提示しているかも。 [review][投票(1)]
★4アンブレイカブル(2000/米)なになに?この緊張感。物語の強さを再び信じさせてくれる。この静けさに潜むこの物語の異質な強度は、初体験かも。[投票(1)]
★4月光の囁き(1999/日)青春の暴発エナジーに懐かしさというか、ハラハラしてしまった。主人公達をぬらしつづける水は、暴走をさらに加速させる。車窓から見える森の風景に『女地獄 森は濡れた』の森を垣間見た。[投票(1)]
★4バレット・バレエ(1999/日)なるほど。鉄男における「金属」が個人の内面に掘り当てた暴力だとすれば、ここでの拳銃は彼の内面にはない。拳銃が他人から手に入れる過程は、彼を取り巻く社会の中の関係性を端的に象徴する。[投票(1)]