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[コメント] ハウルの動く城(2004/日)

せっかく戦争をテーマにしたのに、誰もそこを見てないようですね。監督がかわいそうだから、本作品の裏テーマ「戦争」について考えてみる。今回は変なこと書いてないです。→
すやすや

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







今回の映画で監督がやりたかったことはズバリ「戦争」だろう。

イラク戦争を筆頭に世界中でおこるテロと地域紛争に、このコチコチの石頭の共産主義者、もとい社会民主主義者宮崎駿が指をくわえて黙っているはずがない。TVを見ながら「くそ〜、何か言いてぇ、言わずにおれん!」と思ったに違いない。しかし、TVで持論をぶちまけるだけのアホタレ文化人と一線を画す監督、そこは当然「作品で表現してやるわい〜〜」となったはず。そこで目をつけたのがこの企画だ。

そもそもこの企画は細田守監督で制作される予定だった。それが去年の冬に宮崎駿にバトンタッチ。理由は「原作の世界観を表現するには、自分でやるのが最適」とのこと。う〜ん。私はこの言葉(スポニチより抜粋)を額面道理受け取れない。”戦争”とテーマに作品を作りたいところにちょうどよさそうなネタがあったから、宮崎監督が企画と取ってしまったのが真相ではないか。 ジブリとしてもスポンサーとしても、宮崎監督が作ってくれるなら願ったりかなったりだし、細谷監督はそもそも東映アニメーションで部外者。文句を言えるはずもない…。

そう考えると、そもそも原作に入ってない戦争描写や一部の支離滅裂な展開にも納得がゆく。

戦争をテーマに映画を作ると言っても、どこぞの中学生監督のように”戦争反対””戦争反対”と連呼するだけのような青臭い演出は、老練の宮崎監督は当然しない。 反戦メッセージというのはそれを言葉にするだけで説教くさくなるため、そこの描写には気を遣う必要があるからだ。この映画で「どこの国とどこの国が何のために戦争しているかわからない」という感想を多く見受けるが、たぶんこの説明不足は明らかに前記の理由による意図的なものだ。

戦争を描くときに、「どの国とどの国がいかなる理由で戦争状態にあるのか?」というのは世界観を構築する上で見ている観客は重要だと思うかもしれないが、これを描いてしまうと「ハウルが加勢している方が正義」と勘違いされてしまう危険性がある。戦争についてあれこれ考えて作品にするような人が「こっちの国が正義で、あっちの国が悪」なんて単純な描き方は絶対にしない。戦争とは「どっちが正しい」なんて簡単に言えるような話でなく、どちらにも言い分がありどちらもまた悪しきところがあるものだから。その複雑さ故に戦争は、世界中の各地で起こり、ダラダラと続けられているのである。

これを決定づけるセリフがある。

ソフィ「敵?味方?」

ハウル「どちらでも同じことさ。……人殺し共め」

この台詞は前記の理屈を裏付ける証左であり、この映画で監督は一番わかりやすく戦争について表現した台詞だと思う。また、もう一つ意図的にやっていると思われるのが、ハウルの戦うシーンがほとんどないこと。必ずと言っていいほど戦うシーンの前にソフィに逃げろと言い渡し戦場へと飛び、その後の描写が全くない。ハウルの戦闘シーンを描いてしまうと、戦争そのものがカッコよく、ヒロイックなものになってしまう。監督はこの点をきちんと避けて脚本を書いていると思われる。

とりあえず、この辺までは自分の中で納得できる解答を得られていたのだが、唯一大きな矛盾点として残っていたのがハウルの行動原理。

ハウルは「戦争にいきたくない」からサルマンからの招集を断りにいくのだが、それ以前に夜な夜な抜け出し、獣の姿となって戦場を飛ぶ描写がある。どう考えても戦っているようにしか思えないのだが、「戦争にいきたくない」と言っておいて戦っているんじゃ矛盾もいいところなんだけど、これは一体どういうことなのか?(しかし、戦っているシーンがないので微妙といえば微妙)

作品的なテーマに一貫性を持たせる場合はハウルが戦っていたほうが、スッキリする。 呪い(もしくはカルシファーとの契約)により強大な魔法を持ってはいるが、それを使って戦いをしていると心を失い、身も心も獣となってしまう。それを解けるのはソフィの愛だけだ、という構造は非常にスッキリしていて納得できる。カルシファーに「そんなに戦っていると元にもどれなくなるぞ」とも言われているし。

でも戦っているくせにハウルは「脱走兵ジェンキンスさん」である…。 ハウルを戦争嫌いにしたのは、そのほうが魅力的だし弱虫というキャラクターの裏付けにするためだろう。もう一つは「僕はずっと逃げてきたけど、今は戦う。キミという守るべき人ができたから」という台詞を言わせたいためだったのではないだろうか。

「守るべき人のために戦う」

これは私が戦争をテーマに作品を描く場合に、ここに着地させる以外に解答はないと思っていた着地点だ。そのものズバリを言われたモノだから「ああ、やっぱりこう言うしかないよね」とえらく感心、かつ拍子抜けしてしまった。

とはいえ、それぞれ理由があるにせよ矛盾していることには変わりはない。私はこの矛盾点を意図的にやったのか、それもともミスってそうなったのかがわからずにいた。しかし、監督がキムタクのアフレコを終えた後に「ハウルの行動原理がつかめずにいたけど、ハウルってこういう人だっただね」(パンフより抜粋)と言ったそうなので、書いている本人がわからないんだから、たぶんこの矛盾はミスってこうなっているようです。ハウルのキャラに関しては見ながら「このキャラ、全然筆がのってないキャラだなぁと」と気になっていたのですが案の定監督はもてあましていたようですね。花畑のシーンとかに萌えている皆さんもいらっしゃいましたが、私は「イキな演出もしなこともない生真面目な学生が、マニュアル見て無理に花束を持ってデートに現れたような」な居心地の悪さというか、無理している感があったんですけどそんなことありません?

最後にソフィのキス、キス、キスの連続で物語は大団円を迎えるわけですが、「なんでカブにキスするねん!」とか「王子ののろいが解けて戦争終わりって簡単すぎませんか?」とかありますけどこれでいいんです!!!

キス=愛

愛があれば戦争なんておきない!!!

いやー、なんて素晴らしい結論なのでしょう。 アホか、バカかと思われるかもしれませんが、このオチにも私は納得&大賛成。 キスしていいSEXすれば戦争なんてする気おきないんですよ!

愛があれば戦争なんておきないんです!!(本気)

さあ、みんな愛する人とキスをしよう!!(本気)

愛する人と燃えるようなSEXをしよう!!(本気)

ということで、監督がやりたかった戦争をキーワードを映画を紐解くと割とスッキリした話になるでしょ?ハウルとソフィのキャラがよくわからないのも当然。だって監督が描きたいのそれじゃないから。

え?そんなことない??

(評価:★4)

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