[コメント] トニー滝谷(2005/日)
ミニマルな形式を徹底することで、市川準がひとつ上のレベルに移行した瞬間。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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この作品に特徴的なことは、言うまでもなく、カメラがパンしながら区切られた場面を順に映し出していく手法であるだろう。この手法自体はそれほど珍しいことではない。しかし、この作品では、ひとつのシーンと次のシーンとの間にある壁は、空間的な隔たりを意味するのではなく、時間的な隔たり、経過を意味している。そして、それが執拗に繰り返されることによって、この手法は或る種の(そして新たな)モンタージュとして機能し始める。ひとつの瞬間を表象するひとつの細胞cellulaは、フィルム上のひとつのコマに、それらの右から左への運動は、編集台上の作業におけるフィルムの動きに対応する。フィルムとのアナロジーにおいて。
そして、このアナロジーは、坂本龍一のミニマルな音楽へと、また、ナレーションと台詞との相互反復へと波及していくだけでなく、物語全体へと浸透している。日々繰り返し描き続けるトニー。洋服を買い続ける英子。トニーの元を訪れ、そこを去り、そして戻ってくるヒサコ。そして、ひとりの女性を愛し、失い、新たな女性と巡り会う。人生における反復、反復される日々。
このような統一性にもかかわらず、この作品が閉じられたものではないのは、この反復の故であるだろう。反復は無限に繰り返され、拡張してゆく。映画の内部と外部をつなげるこの反復こそが、この映画における監督市川準の驚嘆すべき手腕である。
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