[コメント] 硫黄島からの手紙(2006/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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米国から見れば、5日で戦闘は終結すると言われた硫黄島で、陥落までに実に36日を要し、日本守備隊員数を上回る犠牲者を出したという「量に対する驚愕」が、この戦闘を特筆する動機となっているのだろう。そこには「よく戦った」という戦士を讃える米国特有のヒロイズムみたいなものが垣間見える(まぁ、クソ食らえと言いたいが)。
しかし当時の日本の社会事情からすれば、内地の婦人でさえ竹槍持って戦おうとしていたわけで、量を凌駕するのは当たり前という状況のなか、米国とは違う次元で日本の硫黄島が存在している。 当時日本は「神の国」であり、投降したら戸籍謄本に「国賊」と記録される社会事情に代表されるように、国家による全体狂気の中を、本土決戦に向かって突っ走していた。 普通、2万人の守備隊で20万余の敵に立ち向かえるわけがないが、ところがどっこい、それをやってしまうのが当時の日本。 事実、神風特攻機による実測効果では、成功すれば一度に200人の敵兵と一隻の艦船を倒せるわけで、1対200の基準から言えば、守備隊2万人で200万の敵兵に対抗できると信じ切っている。何しろ日本は神の国なので。
ここに日本における硫黄島の悲劇と狂気があり、それは国家による全体狂気に他ならない。だから硫黄島からの帰還兵は、今もなお当時の状況を語ることを憚る。米国兵は、無事に帰還することを前提に戦うが、日本兵は、どれだけ多くの米国兵を殺して自分は死ぬかを前提にに戦う。ここが米国と決定的に違う日本の硫黄島なんだ。映画パフレットに依れば、監督のクリント・イーストウッドも、そのことを理解するのに苦労したようだ。
実際の戦場は、司令官が戦死し大勢が決してからが本当の地獄だったようで、事実上の組織的戦闘は既に終結しているのに、なおゲリラとなり2ヶ月以上に渡る必死の抵抗を余儀なくされた人々の状況は、筆舌に耐えぬものだったのだろう。戸籍に国賊と書かれるから、残してきた家族を思えば死ぬまで抵抗するしかない。でも、そのことは本当に描けているのだろうか?
戦場だけでなく故郷も含めた国家全体の狂気の中で、逃げ道を塞がれ、撤退することも投降することも許されず、弾薬は愚か、水も食料もない硫黄の有毒ガスの蔓延する、狭く暗い地下壕の中で、正気を保つただ一つの拠りどころが家族との手紙ならば、そのことをもっと前面に出し、狂気対理性、憎悪対憐れみ、敵対味方、日本対米国を、もっともっとクローズアップして然るべきだ。
これでは、素材だけ持っていかれたハリウッド戦争映画。 属国慣れした日本人が「よくぞアメリカ人監督で、ここまで平等に描いてくれた」などと、たるい事を言う輩になる前に、もっと戦争体験者の話を真摯に聞くことにしよう。敵味方を越えてね。
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