[コメント] 西部戦線異状なし(1930/米)
ヒトラー政権が樹立した1933年、原作の『西部戦線異常なし』は宣伝相ゲッベルスの指揮のもとでベルリン、オペラハウスの前で焚書となる。また映画化された本作品も日本では軍の検閲によって原型をとどめない程にカットされて公開された。
レマルクの原作もアメリカで映画化された本作品も、今ではともに「古典」とされている。読者の脳内でイメージが拡がる小説と違い、ストレートな映像で見せる映画は不利だ。CGを多用する現代の作品と較べれば物足りない点は数え上げたらきりが無い。
しかし、どうだろう。単調な塹壕戦から、凄惨な白兵戦に切り替わった時の凄まじさ。殺し合いの描写は後世の戦争を扱った傑作映画にひけをとらない、いやそれどころか、いったいいつまで続けるのかと監督の気を疑う程の長い、長い殺戮シーン。みなどこかで見た記憶があるようなシーン・カットの連続である。
キューブリックの『突撃』・スピルバーグの『プライベート・ライアン』・『史上最大の作戦』・『プラトーン』・『スターリングラード』。こちらも数え上げたらきりが無い。みなこの作品から始まっているのだ。
PS:人はよく「歴史の風化」を憂う。70年を超えたこの作品は劣化が進み、各所が傷んでいる。この古典は後世に伝えていくべき作品だが、風化は止められないだろう。
何故ならこの作品が訴えた戦争の悲惨さや、無常感はすぐに忘れられ風化した。後の第2次世界大戦はもとより、現在でも人々は戦争を欲して風化に加速度をつけている。いまさら、この作品が存在したとて、その存在意義はあるのだろうか?この作品がいくら劣化しようとも、もう意義はないだろう。
だが、問う。 「本当にいいのか!」と。
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