[コメント] ALWAYS 続・三丁目の夕日(2007/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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前作は、濃密な時代の背景描写とベタなストーリーが絶妙に補完し合い、その時代を知る者も、知らぬ者も「良心」という一点で全てを納得さてしまうという偶然と言って良いほどの奇跡的バランスの上に成立していた。本作の濃度を薄められた舞台装置としての昭和30年代の背景描写は、続編を作るに際しての山崎貴の戦略だと理解つつ、その濃度の薄すさゆえの逸話の貧弱さの露呈が原因だと言い切れないほどメインストーリーに甘さがあった。
昭和20年代を生きた鈴木オート社長(堤真一)と妻トモエ(薬師丸ひろ子)の青春のキズがサブエピソードの範疇に納められ、あるいはアクマ先生(三浦友和)のダルな焼き鳥踊り、さらに深読みして美加(小池彩夢)の母の不在が敗戦の混乱に起因するものだと想像してみたところで、期待に反して作品の骨子と成りえなかったのは、冒頭のあまりにも素晴らしいゴジラパニックが、これから始まる物語の前フリだと勘違いした私の勝手な早合点でしかなかった。
話しが少々、まわりくどくなってなってしまった。不満の本質は、私の早合点で敗戦後の成長期の足がかりをつかんだ30年代に生きる人々の、20年代の青春のキズの記憶が描かれていなかったことにあるのではない。エンターテインメント映画としての、メインストーリーの貧弱さだ。
端的に言うと、川渕(小日向文世)が茶川(吉岡秀隆)に対して劇中つきつけた「君は優しいが、甘い」という正論に、いかに反論するかがこの映画の主題だったはずだ。その難問に正面から応えることなく厚顔にも、「甘くて何が悪い」と言わんばかりに観客の予想に反することなく「甘さ」を謳歌し、茶川とヒロミ(小雪)の再会をひたすら準備し、「だって、僕は甘いんだもん」と平気で無恥をさらして堂々と作品を締めくくる制作者たちの「甘え」が気に食わないのだ。
人生、甘く生きるのは勝手だが、娯楽映画を甘くみられては困る。
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