[コメント] 田園に死す(1974/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
捨てること、と、捨てられること、と、いったいどう違うのか。
空気女は亭主に裏切られたが、亭主は空気女に未練を感じて貰えなかった。
戦争孤児だった隣の奥さんは、自分を捨てた世の中を捨ててしまった。
バーで友人は、記憶を捨てねば、人は自由になれないと言った。
それなのに「俺」は、記憶に、記憶の中の20年前の「俺」に見捨てられてしまった。
20年前の「俺」は母ちゃんを捨てようとした。
20年前の「俺」は確かに母ちゃんを捨てたはずだった。
しかし、母ちゃんは、そういう「俺」を捨てようとしなかった。
だから「俺」は今も母ちゃんを捨てられずにいる。
自由を手に入れられずにいる。
俺は、自由を手に入れられずにいる。
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作者の寺山修司は、少年時代に実母に捨てられた経験を持っている。この作品は「捨てよ」の作家である寺山がその内面に抱える矛盾をありのままに露呈しているという点で、断定的な文体で書かれた多数の活字エッセイよりも数段面白く共感もしやすい。僕は歌人・詩人・劇作家・映画監督(つまり芸術家)としての寺山の方が、思想家・批評家としての寺山より何倍も好きだ。両者は不可分、と仰る信者の方も居られるかも知れないが、寺山芸術を愉しむのに寺山思想の共鳴者である必要性は全くないのである。
さて本作が処女長篇『書を捨て町へ出よう』より、ぐっと映画っぽく見えるのは、勅使河原宏作品でも知られる粟津潔の美術があったればこそ。田園風景の自然色と鮮烈な赤とのコントラストが素晴らしい。
また寺山&J・A・シーザーが和製ベルトルト・ブレヒト&クルト・ヴァイルであることはまず間違いない。
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