[コメント] 歩いても 歩いても(2007/日)
私の実家は、6人家族で、父方の祖父母に両親、兄、私だった。父は7人兄弟(男3人、女4人)の長男で、その内、おば3人は割と近所に住んでいて、月に一度くらいは顔を見せていた。
YOUと樹木希林のやりとりを見ていると、そのおばたちが来ていた時の光景を思い出してしまった。本当に、祖母とおばたちのやりとりはあれにそっくりというか、まったく同じ雰囲気だった。母と娘という、まったく遠慮のない、ずけずけと言いたいことを言いあいながら、いざとなると妙に口数が少なくなる。
そして盆や正月には遠方にいるおじたちが家族連れ、泊りがけで帰省してくるのだが、その時のおじの妻たちの様子はこれまた夏川結衣とそっくりなのだ。
そういう点では、「よく見てるなあ」とか「あるある」、「そうそう」というところがてんこ盛りの映画でもあるし、思わず吹き出したり笑ってしまう台詞や仕草が随所にある。
ところがその傍観者的な態度は、子どもの頃を思い出して、自分がまさにそういう大人の世界は関係ないと思っているからこその目線だからであり、いざ、今の自分の立場、実家を出て20年以上たち、たまに帰省する側で見ているとまるで違う雰囲気がこの映画に漂ってくる。
とりわけ次男坊である自分にとっては、別に兄が死んだわけでもないし、姉もいないのだが、もう阿部寛こそ、私の立場なのだ。
だから、盆に帰れば「もう正月はいいだろう」と言ったり、母親の愚痴を聞いてやるのはまずもって父親の仕事だと思ったりして、両親のことは両親で片をつけてほしいと思ったりしてて、もうここまでくると「あるある」なんてもんじゃない、身につまされるというか、自分の態度を客観的なところから見せつけられていたたまれなくなるような感じさえするのだ。
そういう、妙な切実というか、リアリティがあるというか、生々しいというか、すごく完成度の高い映画に見える。
同時にこの映画は、「和をもって貴しとする」という実に日本的な映画でもあるのではないか。ここでいう「和」とは、ものすごくあいまいで、複雑である。いわゆる西洋的な近代的自我の確立とかその相互関係なんかではとても説明できない。
互いに言いたいことをぐっと我慢して言わないまま譲り合うのも「和」なら、思ったことをずけずけと言い合いながらも、それが相互理解とは程遠い、ただの言いっぱなしに終わるのも「和」である。
でもそこには、言わずもがなのうちに、家族だからとかのような、甘えと了解、そしてわがままと信頼のようなものがある。
そういうものをびっくりするほど上手に描いた映画だ思う。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (11 人) | [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。