[コメント] インターステラー(2014/米)
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禍を転じて福と為す。怪我の功名。などという俚諺のあるらしいことを小耳に挟んだためしが一度ならずあるけれども、かねてより懸念されていたウォリー・フィスターの不在ですら、ノーラン組はホイテ・ヴァン・ホイテマのスタフィングによってむしろストロングポイントに転化させている。枯れた地球にしろ、海や氷の惑星にしろ、人間に厳しい天然風景を撮り収めたカットに俄然眺め甲斐がある。「荒唐無稽の烙印さえ押されかねない物語を画面のテクスチュアで押し切る」というノーラン・スタイルが、いくつかのフィスターとの協働作よりもいっそう顕著だ。
マシュー・マコノヒーが宇宙に飛び発つ前、すなわち娘マーフ役をマッケンジー・フォイが演じていた地上の諸シーンがこの映画の良心のようにも思え、抗い難い魅力を覚える。親子三人がトラックでコーン畑を突っ切りながらドローンを追うシーンなどは「ノーランらしからぬ」とまで云いたくなるようなアメリカ映画的瞬間だ。野球場の後景から砂嵐が迫ってくるカットも最高で、砂嵐の大きさ・速さ、それを収めた構図取りもよいし、殊更に慌てるでもなく避難するモブの演出も非説明的な仕方で世界観を語っている。
さて、この映画が下敷きにした、また劇中にちりばめられた科学的・物理学的言及は果たしてどの程度アカデミカルに妥当なのか、あるいはでたらめなのか。そのような問いは、学生時分に理系科目の試験で赤点を獲得する能力にかけては学び舎に名を轟かせがちだった私の関知する事柄ではない。しかし後半部における、小人さんのようになったマコノヒーが書架の裏から書物を押し出して娘に何事かを伝えようとするシーン。ここで映画が声の限りを尽くして吼える「愛は時間も空間も越える」という命題は、物理学的妥当性とはいささかも関係なく、人として、とりわけ子の親として素朴な想念だろう。それを表現するために「宇宙」「ブラックホール」「次元」といったキイワードを召喚して画面化するノーランの手管もまた素朴である。感動の秘密は、だが、この素朴にあるように思える。
後続のシーンで、ジェシカ・チャスティンは腕時計の秒針のぶるぶるを兄ケイシー・アフレックに示して「パパが帰ってきた」ことを主張する。アフレックからすればついに妹が乱心したとしか思えなかっただろうが、しかしチャスティンは秒針のぶるぶるが父からのメッセージであることを信じて疑わない。「山」に取り憑かれた『未知との遭遇』の人々にも似た、この確信ぶりが感動的なのだ。さらに云うならば、このような(演出家の正気さえ疑われかねない)シーンが感動的である、と確信するノーランの素朴がどうしても感動的なのだ。
最終盤、自分より遥かに年老いた娘と再会する親の心情とはいったいどういうものだろうか。それは途方もなく複雑のようで、しかしここでもノーランの筆はむしろ巧まずに運ばれている。諸々のサイエンス・フィクション的な道具立ては『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』を父娘間で展開するための動力源でもあったのだろう。
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