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[コメント] 砂の器(1974/日)

これは推理ものではない。前年の『日本沈没』の脚本家橋本忍丹波哲郎が送る現代日本の叙事詩である。そして『幻の湖』への第一歩。
ジョー・チップ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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実は、丹波哲郎が日本全国を渡り歩いて聞き込みをする前半の展開も、野村芳太郎監督の手堅い演出で結構見せる。しかし後半40分の一大絵巻はこれまでのシチュエイションが全て消し飛んでしまうくらいの迫力がある。

冷静に考えてみれば、犯人は自分の出世に響く事実を知る過去の恩人を口封じに殺してしまったわけで、どう取り繕っても同情の余地はない。はっきり言ってどうしようもない男ですらある。しかしこの映画はこの犯人に思いっきり感情移入してしまい、しかも観ている間はそんな疑問はすっかり忘れてしまう。つまりこの映画は理屈ではなく、ある意味妄想に近いパワーで押しまくるのだ。それはもうすでに犯罪ものの範疇を超えていて、あたかも目の前で神話が創出される瞬間に立ち会っているのではないかと思うくらいである。本来ならばこのような映画は独善的として批判されるしヒットもしないはずなのだが、この映画は大ヒットし評価もされた。

原作は連載当初の1960年から映画化が企画されていたが、この映画に出てくるハンセン氏病の遍路、という話はほんの数行しか出てこない。橋本氏は14年間もこの数行にこだわり、ここまで想像を膨らませて映像化にこぎつけたわけで、そのパワーと忍耐には敬服するしかない。

成功の要因は手堅い演出と文句の付けようのない映像と音楽、丹波を始めとする俳優の体当たり演技、これらが本当に絶妙な、言い換えると危ういバランスの上に成り立っていることである。スタッフ、キャスト一同が橋本氏の「妄想」を支えた、と言って良い。俳優の演技では、丹波、加藤嘉、は言うに及ばず、ほとんど喋らない加藤剛はコンサート会場で顔の表情だけで様々な感情を表現しており、目立たないところで健闘している。

またこの「妄想」にはちゃんとした裏づけがあったのだろうと思う。橋本氏は前年の『日本沈没』でも「日本と日本人」という壮大なテーマに取り組んでいたが、ここでも「日本の季節風土」「差別」「放浪」「親子」といった善悪取り混ぜた概念に日本人の根幹にかかわるものを直感したのではないだろうか。この映画が犯行の是非を超越して、その向こうにある「日本人とは何か」というテーマに真正面から取り組んでいることが明快であるからこそ、妄想とは思わず、まるでこの事件が、全ての日本人が我がことのように共有する神話のように感動してしまうのである。

ただこうした作り方が非常に危ういのは、その後同じような路線がことごとく失敗していることで分かる。『八甲田山』『八つ墓村』『人間の証明』・・・そして自ら監督した『幻の湖』で橋本氏はその偉大な経歴を崩壊させかねない珍品を撮ってしまう。80年代、もはや橋本氏の妄想パワーを制御するスタッフは存在しえなくなったとも言える。今にして思うと本当に幸福な映画だと思う。

(評価:★4)

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