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[コメント] ワンダフルライフ(1998/日)

「ワンダフルライフ」と言える勇気と欺瞞

果たしてぼくらの人生は「ワンダフルライフ」と言えるほど祝福すべきものだろうか?反語ではないものとして「ワンダフルライフ」と確信を持って言える人がどれほどいるのだろうか?・・・おそらく、そんな幸福な人たちは一握りしかいないはずだろう(と思う)。

楽しいことがあり、悲しいことがある。本来、そのふたつは、決して釣り合うこともなく、互いに消し合うということもない、人は決して救われることはないから。だが、本作『ワンダフルライフ』は、「たった一つの思い出を選ぶ」という選択の責任を死者に託すことで、終わってしまった人生を再び何らかの「始まり」「希望」へと折り返すことで、実は「人生が素晴らしきものであった」と認識させる。つまりそこで、死者は救われ、本当の死後の世界へと旅立つことになる、というわけである。この映画が、観る者に何らかの「癒し」をもたらすのは、その「たった一つの思い出を選ぶ」という行為が、ある種の「あきらめ」を観る者に許してくれるからなのだろう。

「たった一つしか」選ぶことができない、しかしそれは「たった一つさえ」選べばいい、ということなのだ。この映画に何かが足りない、何かが絶対に欠けていると感じるのは、「たった一つの思い出」の影にある選ばれることのなかった思い出、打ち捨てられた「悲しみ」のためではないか。

ただ、この映画に観るべきものがあったすれば、「たった一つの思い出」さえも選ぶことできない職員達の宙吊りにされた姿である。彼らは「選ばない」という選択をすることで、打ち捨てられた「悲しみ」を引き受けている。彼らには永遠の「癒し」(=死)は決して訪れることはない。いつまでも宙ぶらりんのままである。けれど、その宙ぶらりんのままでありつづけることによって、自分たちの凍りついた記憶・思い出に向きっているのではないだろうか。

(評価:★3)

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