[コメント] サイコ(1960/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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サイコ=心的恐怖、つまり見えない恐怖
ノーマンは剥製である。剥製には詰め物が詰まっているが、彼には母が詰まっている。彼とマリオンが話しているシーン、ノーマンが話す画面には常に剥製が映っている。同化している。
怖いのは、シャワーのシーンではなかった。単にショッキングなだけだ。 怖いのは、分らないこと。
《見えない》ものへの恐怖。それがノーマンの家のシーンでは効果的だ。 《見えない》、という状態は自分と相手の間に心理的な差が起こる。
この映画は非常に「目」が強調されている。白黒なので余計にそう感じたのだろう。 ノーマンはマリオンを覗く。一方的な見ると見られるの関係。マリオンにはベイツモーテルの「目」が見えていない。私はシャワー惨殺後の排水溝が「目」に見えて仕方がなかった。そしてそれはノーマンの目の暗示ではないかと思った。つまり結局彼は、自己であれ母であれ全てを見ていたのではないだろうか。
「目」は人間の顔で、表情で、性格であり、ひいてはその人の特徴だ。相手の目が見えないと一方的な関係になり、不安感を感じさせる。何がいいたいかというと、序盤で出てきたサングラスの警官。あいつが最大の複線になっている。のっぺらぼうの恐怖。ガソリンスタンドの不安感、不快感だけでなく後々までマリオンと観客に《見えない》恐怖を植え付けている。見る側ノーマンと、見られる側マリオンの差が惨殺という究極の形で表れたのだろう。
サイコは心理的に《見えない》状態から来る不安感を描いた作品だ。
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