[コメント] 海の上のピアニスト(1998/伊)
映画を見終った人むけのレビューです。
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船を一歩降りれば、そこにはバラ色の未来が待っているのに・・・
なんて事を「普通」の人々は感じる。度を越した臆病者か異常者を描いた作品なのか?と・・
しかし、あなたならどうだろう?簡単に船を降りて、または乗り換えて人生を切り開いていってますか?
現状の風雨に晒されていない「安住」な生活を捨て、家庭を捨てたり、転職したり、いや、レールの変更ばかりではない。「恋愛の告白」だってそうだ。どんなに告白しようと思っても、いざとなると何も言えやしない。失敗に終わった後の友人や会社での人間関係の修羅場を想像しただけで、告白する勇気が萎んでくる。
移民の農夫が言う、「無限の可能性がある」と。1900はその農夫の娘に恋心を伝える事も出来ない。
あなたならどうだろう?いつもタラップを駆け下りて新しい人生を切り開いていっているのですか?
この作品では多くの移民たちが故郷を捨て、人生を賭けて新大陸へ渡って来る。現在の平穏無事な日本人からみれば、彼等は皆勇敢な冒険者だ。彼等の内の何人かは成功物語の主人公となり、またある者は失意の内に歴史から消えていった。
冒頭に登場する自由の女神像は足元を何回ともなく通り過ぎて行く1900をどんな想いで見続けてきたのでしょうか?才能があるにも関わらず、それを小さな器の中だけで披露し自己の為だけに生きていく1900。「無限の可能性」の象徴たる自由の女神像に触れる事を拒んだ1900は海に沈んでいくしかなかったのだ。
あなたなら、いや私ならどうだろう?
私は多くの転職を繰り返してきた。未来を切り開くべくした転職もあった。沈み行く船から逃げ出すような転職もあった。自信を失い肩を落としてタラップを降りるような転職もあった。
1900を臆病者と笑う事は出来ない。船の中は安住の場かも知れないが、嵐の夜もある。舳先から艫までしか世界は無いが、逆に逃げ場も無い。
私の住む陸は、世界はどこまでも続くが、逃げ場はいくらでもある。私は逃げ道を多く知っている。いつも逃げ道を探し回っているだけかもしれない。
1900を笑う事は出来ない。どちらが正しいのか正解は無いだろう。ただし、私たちの目の前には常にタラップが下ろされている事だけは確かなようだ。
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