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[コメント] 丹下左膳餘話 百萬両の壷(1935/日)

サブタイトルの大仰さに反して、
Myurakz

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 今作はむしろ「あまり百萬両を欲しがっていない人々の物語」だと思った。壷探しを早々に諦めて遊興に精を出す次男坊に、その旦那を家に閉じ込めることに意固地になる嫁。壷を奪うことなんて露ほども考えない丹下左膳と女将。そしてお金の価値など知らない子ども。どいつもこいつも百萬両なんて大して欲しがっていない。「百萬両あったらいいなぁ」とか「百萬両ってスゴくねぇ?」程度のモチベーションを軸にして物語が回っていく。ユルい。スゴくユルい。物語が本気になるのは「家出した子どもを捜すところ」と「子どもの父の仇を取るところ」だけだ。要は「情のシーン」だけ本気になってるんだ。

 つまるところ、「お金に必死になる人を出さない」ことでこの物語の空気は保たれているんだろう。展開の都合上、柳生家の人々だけは懸命に壷を探すけれど、そのためか彼らの出番は必要以上に少なく、またその行動も非常に控えめだ。「幻のシーン」とされている殺陣のシーンだって、本当だったら柳生家の侍とやり合ったって良かったはず、というかそうなるのが普通だと思う。

 そこを外してまで物語は終始百萬両を軽んじ続け、情けに重きを置き続ける。だからこそ最後のオチが猛烈に効いてくる。不思議なもので最初は壷探しに本気を出さない次男坊にイライラしていたのが、物語の価値観に徐々に浸食された挙げ句、ラストでは喝采まで挙げてしまった。

 考えてみれば、お金と情けが相反するなんていうのは貨幣が登場して以来の人間の命題だ。これは江戸も昭和も同じだったはず。強いて言えば「どちらを声を大にして言える時代か」の違いだけだ。とすればこれは「江戸の情緒を懐かしむ」物語というよりは、「カッコいいのはどっちだ」という普遍的な物語だってことなんだろう。そしてだからこそ、昭和も平成も変わらずに観客の心に響くんだと思う。100人中100人が「そんなもん金が大事に決まってるだろうが」と言ってしまえる時代が来ない限り、登場人物である彼らはカッコよくあり続けるんだろう。百萬両を後回しにしてまで放つ弓矢がヘタクソな次男坊は、実際だいぶカッコいいと思うよ。

(評価:★5)

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