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[コメント] 丹下左膳餘話 百萬両の壷(1935/日)

積み上げた布石は優しく破壊され、そして映画は加速してゆく。
林田乃丞

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「送っていっておやりよ」「冗談じゃねえやい、金輪際送るもんか」

「家へ置いてやることにしたんだい」「やめておくれよ、あんな汚い子供」

「寺子屋だ」「道場だ」「寺子屋だよ」「道場!」「寺子屋!」

 丁々発止のやりとりがあり、直後のシーンで人の心の暖かさを見せる。こうしたシーンの繰り返しがたまらなく可笑しく、映画はリズムを失うことなく人物像を描き出してゆく。

 言葉ではなく行動でドラマを転がし、セリフではなく映像で説明してゆく。とんでもなく美しい脚本であり、映画だ。

 そして後半に入り、この繰り返しのリズムはそっと破壊される。安が寺子屋でいじめられていることを知った丹下とお藤は例によって「送ってやれ」「お前が送れ」とやり合うが、ここで初めて丹下が「送るか送るまいか」を逡巡するシーンが差し込まれる。たった10秒か20秒のシーンだが、ここまで徹底的に省略してきた「過程」を描くことで映画のリズムは劇的に変化し、観客は「違う何かが始まる」という予感を得る。

 巧い。卓越という表現でも足りないほどの、見事な展開力と思う。

 何度も語られる「江戸は広い」というセリフとは裏腹に、バラバラだった人物たちは互いにその距離を縮めてゆくというギミック。目の眩むような大金より身の丈に合った慎ましい幸福を選ぶラストシーン。フィルムのどこを切ってもふわりと溢れ出る人情。

 人類が色と金に対する欲望を失わない限り、この映画の魅力は決して色あせないはずだ。大衆芸能の極みがここにある。

(評価:★5)

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