[コメント] 卒業(1967/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
マーク・レスターとトレイシー・ハイドは幼きに過ぎた。だから現実から押しつぶされようとする前に、どこか知らない楽園に向けて逃避行することができた。ふたりにとってのラストはまさにあれそのものであり、彼らのその後を探るのは、王子様とお姫様がいつまでも幸福に暮らせたかに異論をはさむくらい野暮なことである。
「真夜中のカーボーイ」でのホフマンとボイトは最初から社会に拒絶されていた。夢はつねに裏切られ、人々が彼らに投げる視線は冷たかった。だからホフマンが夢見たリゾートへの旅のあいだで死んでしまっても、カメラはいつまでも続く現実を象徴するように、死体とその保護者を冷淡に映し続けるのみであった。現実はけして終わらないものだ。
さて、この映画でのホフマンとキャサリンの場合はどうだろう?彼らには「その後」があるのは判るが、それはいつまでも続く夢でないことは、ふたりの乗り込んだバスの乗客の視線であきらかだ。だが、当惑するふたりの方はどうだろう?確かにとんでもない事をしでかしてしまってはいるのだが、その後はどうにかなりそうなことではある。楽園にたどり着けるかは若いふたりの行動にかかっている。ここにおいて彼らの味方は誰ひとりいないのだから尚更だ。この映画はファンタジーではあり得ないが、現実そのもののように冷酷ではない。筆者は彼らがうまくいってくれるように応援するものではないが、かといって彼らの可能性まで否定するものではない。
「ここまでのお膳立ては用意した。あとは君らが道を切り開けるか否かだ」
フィルムはそんなふうに、少し身勝手な恋人たちに語りかけているように思える。
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