[コメント] A.I.(2001/米)
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愛されるべき子供ロボットを作ったらオヤジくさくて愛されなかった・・・なんて低予算映画はどうですかね?
全然期待していなかったが、こんなくだらない感想を書くに至るほど、予想を大きく下回る大駄作。
スピルバーグの欠点は「科学信奉者」であること。 もちろん、だからこそ数々の特異な設定を生み出し、数々の傑作を送り出しているのではあるが、「我々は鮫の寿命すら知らない」という名台詞で人智を超えた自然の驚異を表現した『ジョーズ』の精神はかけらも無くなってしまった。
『ジュラシック・パーク』同様、生物を(今回は人造人間を)産み出すというキリスト教的に言えば「神の領域」に踏み込んでしまった人間に対する咎は何も描かれず、かといって産み出された恐竜もロボットもそれ自体は本来害を与えるべきものではない。 むしろ、警備システムを破った太っちょであるとか本当の息子の存在が、スピルバーグが愛情を注ぐ「創造物」を破滅に追いやっているのである。
つまり、最近の彼の映画は、悪役はステレオタイプの「人間」であり、救われるべき対象は人間ではないことが多い。しまいにはロボットとクローンが愛し合ってよかったよかったって、あんたねえ。
さらに付け加えるなら、「ピノキオ」とか「ピーターパン」(『フック』)とか出しちゃうと、本当に子供趣味になっちゃうんだなあ。当然、精巧なSexRobotの存在は避けて通れなかったのだろうが、「ピノキオ」にしちゃうんだったら不要だったのではなかろうか?
この作品、本当はRobotの視点から人間世界の狂気を描いた作品なのかもしれない。それは故スタンリー・キューブリックが作品化していても同様だったろう(『2001年宇宙の旅』『時計じかけのオレンジ』の精神だ)。だからこの映画は怖くて当然なのだ。 だが、むしろキューブリックの精神はアイザック・アシモフのそれと同じで、人間が人間に愛情を注げなくなった世界の恐怖、あるいはRobotであるが故に愛せない苦悩、または報われない愛情等々、感情移入の対象が人間であったのではなかろうか?
もし、そうだとしたら、冒頭に書いた「えなりかずき」物の方がよほどその精神に近いと思いません?
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