[コメント] マトリックス リローデッド(2003/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
★★★『マトリックス』、『リローデッド』はもちろん、ひょっとしたら『レボリューションズ』のネタバレも含む。★★★
ラストシーン、つまり「現実」において、ネオは手翳しでイカ野郎軍団を粉砕してしまった。恥をかくかもしれないから断言はしないが、こんな可能性が出てきた。つまり、今まで「現実」と定義されていたはずの空間(勿論、ザイオンも含む)も「マトリックス(の重層の一部)」だった、言い換えれば、前作から今作にかけてまだ本当の現実はただの一度も出てきていなかった……
――「マトリックス」が虚構で、ザイオンを含むあの安っぽいテレビゲームの様な荒廃した空間が現実である――という観客に鵜呑みにして貰ったお約束ごとが、あれだけ鼻息を荒げて反体制的な電波を発した前作が拠り所としていた大前提だったことを考えれば、許されざる変節である。が、しかし、個人的には(前作のレビュー〈2003年1月記〉で書いたのだが)、あのインチキ臭い「現実空間」にも、それを現実であると頭ごなしに押しつけてくる登場人物にも焦臭いものを感じていたので、この変節は歓迎している。
また、これも手前味噌だが、前作のレビューで「マトリックス」を思想不在の漠然とした抑圧装置ではなく、誰かしら(機械ではなく生物)の意志と目的を孕んだ思想的産物として描くべき、というようなことを書いた。『リローデッド』が、その通りに「マトリックス」創始者=管理社会の意志をきっちり引きずり出してきたのは、少々意外だった(もっとも、今回は登場してきただけで、モチーフに関してはまだ何も語っていない)。
そもそも「マトリックス」=「限りなく現実と等価な仮想現実空間」というネタは「管理社会による抑圧の暗喩」であって、「コンピュータシステム」はそれを語る媒介に過ぎない。この優先順位は絶対だ。だが、『リローデッド』は「管理社会による抑圧の暗喩」に「コンピュータシステム」をより適切に結びつけようと腐心した結果、媒介に過ぎない後者を語るに終始してしまい、前者をうまく表現し切れていなかったように思う。そればかりか、腐心したであろう「コンピュータシステム」に関する掘り下げとそれに伴う用語の乱用は、その筋の人間から見れば非常に浅く、気恥ずかしくさえ見えたようで、肝心の「管理社会による抑圧の暗喩」を表現するに邪魔ともなりかねなかったようだ。
しかし、媒介に関する掘り下げが至らないレベルだったからといって、あくまで媒介に過ぎない部分をいくらつついても、この映画の思想そのものを批判したことにはならない。何故なら、「マトリックス」は「管理社会による抑圧の暗喩」として、やはりこの上なく適切なのだ。
たとえば『リローデッド』が提示してきた一つのキーワードとして、「選択肢」という言葉があった。「マトリックス」という世界は、いわばこの「選択肢」のみで成り立っている世界であり、「選択の自由」以外に許されていない世界である。身近にあるものでこれに近い代物を挙げるとすれば、テレビゲームのRPGが好例だろう。「はい」「いいえ」の二者択一から辿る行程、仲間、職業、武器等に関する複雑な選択肢に至るまで、究極的にはゲームシステムから与えられる「選択の自由」から一歩も抜け出すことができない。プレイヤーは、この与えられる「選択の自由」に飽き足らなくなったとき、箱庭の限界を見出す。ゲーム製作者は、その限界を隠蔽するために、「選択の自由」をより多様化させていく。つまり「マトリックス」とは、プレイヤーが不満を感じなくなる程に「選択の自由」が多様化された究極のRPGなのであり、「現実の管理社会だって、こんな感じじゃねえか! これで、いいのか、おい!」というのがこのシリーズの主張というわけだ。
この観点から見れば、『リローデッド』のラストは適切だったと言える。ネオは「システム」製作者の前で「選択の自由」に支配された世界の地平線に辿り着き、自らが「システム」の一部でしかなかったことを自覚するのと引き替えに、「システマティック」でしかいられないことがいかに苦痛であるかを思い知った。あのシーンこそ、シリーズが本当の意味で「マトリックス」というテーマに食らい付いていく立脚点となるはずである。
そして、自分を取り巻くいくつものテレビ画面に映し出される自分自身のコマンド、「選択の自由」は、イコール、現在の自分という存在の限界だ。だとすれば、究極の「マトリックス」とは「システム」である以前に、「選択の自由」の中で「システマティック」でいることに甘んじてしまう自分自身、己の器の限界なのかも知れない。とすれば……『レボリューションズ』――複数形……革命は、一人の救世主が起こし皆に与えるものではなく、一人一人の中に起きる無数の革命であることを期待している。
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