[コメント] ギャング・オブ・ニューヨーク(2002/米=独=伊=英=オランダ)
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ダニエル・デイ・ルイス のキャラが想像以上に魅力的であった。復讐劇なのだから、もっと冷酷無比な悪役を演じるのかと思っていたら、次第に時代に取り残されていく者の哀感がこもっていて、前半部のうちから彼の抱く感情に思いを馳せていた。
彼が唱える愛国心とは、現在のアメリカでのよく見かけられる愛国心とは多少形が異なるもので、どちらかというと郷土愛、わが街ニューヨークを愛する気持ちに近いのだろう。自分たちの土地を敵から守る戦争を経験した彼にとって、南部の奴隷制(もしくはそれを基盤とした経済体制)をめぐっておこなわれた南北戦争には大義名分を感じず、募兵から徴兵に切り替えた連邦政府のやり方には違和感をおぼえていた。ゆえに、彼は愛国者を自負していても、連邦政府のためには戦わない。彼独自の政治手法がそこには存在した。
近代国家としてのアメリカ合衆国が初めてたちあがってきたこの時期、ルイスのやり方や考え方は次第に時代遅れのものになりつつあった。彼が望んでいたのは、力と力のぶつかり合い(そうした暴力を骨抜きにしていくのが中央集権化された近代国家といえる)、彼はディカプリオの父親役のあの神父を尊敬していた。
とはいえ、彼自身も時代が変わりつつあることは自覚していた。そのなかで力と力で自分に真っ向から立ち向かってくる最後の人間が、神父の息子のディカプリオだった。当然、出所後最初に会ったときから息子であると気づいていたのだろう。ディカプリオに自分の弱みをさらけ出す言葉を証拠とするまでもなく、彼は明らかにディカプリオと闘うことを望んでいたし、ひょっとすると彼の手にかかって殺されることすら望んでいたかもしれない。そのため、暗殺という(彼にとっては)不本意な手段をとってきたディカプリオを敢えて逃がす。(ただ、このときもっと深い傷跡を残しておくのが筋だと思うが、大資本娯楽作の制約のためか、傷は想像以上に浅手のもので興醒めであった。)
そういう話と読んだので、選挙の話だとか、ディカプリオ周辺の甘っちょろい話はとても瑣末なものに感じた。ニューヨークの徴兵暴動は、時代のあり方が確実に変化したことを裏打ちするエピソードという意味合いなのだろうか。それにしても、暴動の主力の多くは新興アイルランド系移民だったはずだが、そのあたりを仲間に加えて勢力を急成長させたディカプリオのグループとどう関係あるのか、そのあたりを曖昧にしているため、全体からは浮いてしまっている。(暴徒が黒人を襲ったという史実を描いたがゆえに、ディカプリオにそのようなイメージを与えたくないという、大資本娯楽作の力学でもはたらいたのだろうか。)
もっと面白い話に仕上げられたはずが、どうも歴史性と作家性と観客動員のための大資本論理の三者が三つ巴になって、中途半端になった感がある。とはいえ、同時期アメリカの開拓地を描いたマイケル・ウィンターボトムの『めぐり逢う大地』の陳腐なストーリーより観るべきものは多かった。本作の歴史背景はすべて理解しようとするととても複雑で、そもそも自国の歴史にさほど関心のないアメリカ人も実はあまりよくわかっていないのではないかと思われる。
*ニューヨークはアメリカのなかでも特殊な空気があり、アメリカの象徴と言われながらも、実はいわゆる平均的アメリカ都市とは異質なものを抱えている。そういう意味で本作はニューヨークと「アメリカ」との間の亀裂のなかに存在する話とも言えるかもしれない。
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