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[コメント] 大人は判ってくれない(1959/仏)

あの頃俺は若かった。大人になって判ったこと。
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







15、6年ぶりに再鑑賞。スクリーンで観られたことに感謝。

「なるほど、これがヌーヴェル・ヴァーグか」と思って観た大学生の頃。 つまりヌーヴェル・ヴァーグという固定観念が先にあり、どの辺がどうなのか見出そうとしていた(そして見出した気になっていた)頭でっかちだったあの頃。 今、大人(オジサン)になり、新旧いろんな映画を観てきて、「ヌーヴェル・ヴァーグだ」などとかまえることもなく、フラットな思考で観た感想。 「なるほど、これがヌーヴェル・ヴァーグか」(<同じじゃねーか!)

いや、実は同じじゃなくて、無理に探したり枠に当てはめたりすることなく、自分の目で素直に「昔の映画と違う」発見(ってほどでもないけど)があったのだ。

ヌーヴェル・ヴァーグって、映画史における位置付けは確立してるしよく判るのだが、個々の作品を観て「どの辺がどうヌーヴェルなのよ?」ってのはイマイチ不明確な気がしていた(多分今でも不明確なんだろうけど)。 確かに手持ちカメラで屋外に出たとかいろいろあるけど、「手法にこだわるゴダール」「物語に寄り添うトリュフォー」といろいろあるしなあ、ってな思いがあった。 (屋外カメラにしても、隊列から一人二人と離れていく子供達という粋で洒落たエピソードを用意することで、単なる手法ではなく必然に変えてしまう辺りトリュフォーらしい)

で、今回ふと気づいたのが「視点」と「リズム」。

見知らぬ男といる母親を見つけたシーン。スローまじりの細かいカットバックという手法を用いることで、明らかにそれまでと「リズム」が異なっている。文書で言うなら、下線とか文字を大きくしたり色を変えたりして「強調」するようなことを、フィルム上、編集で行ったわけだ。 こんなことは以前からもあった手法ではある。だが、それを意識的に行い、そういった手法を白日の元にさらしたことが、ヌーヴェル・ヴァーグが映画史上に残した大きな功績なのだ(だから彼らがヒッチコックを高く評価した理由も判る)。

このシーン、「リズム」についてのみ述べたが、同時に「視点」(主観カメラという意味ではない)も重要な要素であり、それらはすべて登場人物の「感情」を表現せんがための手法なのである(ゴダールは知らんが)。

後半、留置所に入れられたアントワーヌが周囲を見渡す「視点」。それまで、強い罪悪感にとらわれることもなかった(罪悪感ゼロではない。早くビンを捨てたくて牛乳を一気飲みする辺りで表現されている)が、急に不安になる様子がよく現れている。 そして護送車から見る街の灯。 これまで、どんなにこの街から(この生活から)抜け出したかったことだろう。だが、こんな日に限ってこの街は美しいのだ!少年院に送られることだけが涙の理由ではない。

これだけのことを台詞も臭い芝居もなく、手法で魅せたトリュフォー。いつからべらべらナレーション好きになった?

もっとも、こんなことは当の昔にみんな気づいてるんだよなあ。

(評価:★4)

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