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[コメント] 活きる(1994/香港=中国)

角のないひと。

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







映画の物語の中心人物となるとっつぁんは、とても運がよく、そして物事にこだわりがない。だから生き延びることができた。

まず一つ。彼は家が金持ちであることに甘えて、博打に財産を全部つぎ込むほどの馬鹿息子だったわけだが、彼がもし大家を継ぐに相応しい立派な人物で、家財を守りその上に富ますことのできるような才覚のある人物であったらどうなっていたか。家財はそのまま彼らのものだったかもしれないが、ために旧家はむしろ革命の犠牲となり、家財は全て没収、家長たる彼やその家族は吊るし上げを食って公開処刑の憂き目に遭っていたのではあるまいか。

あるいはまた、彼の影絵操演の才能。彼は食うために役立てることにした影絵道具とその操演技術を、しかし体制の要請に従って呆気なく手放してしまう。幼い息子が大事な操演中に仕出かしたいたずらに、さすがに烈火のごとく怒り狂うのかと思いきや、とっつぁんは途端に柔和な笑顔に変じて幼い息子の尻を追い駆けまわすばかり。芸能に多少長じてはいても、そこに職人的な偏屈なこだわりがあるわけではない。だからこそ強いられればさしたる抵抗もなく影絵を捨て去ってしまうこともできるわけで、それゆえの悲劇を蒙ることもまた免れた。

さらにその上極めつけなのは、幼い息子の死。それは一見不幸な出来事であって、勿論その通りなのだが、幼い頃から人一倍正義感が強く、純粋に革命の理念に染められていたらしいあの息子がもしあのまま大きくなっていたら、どうなっていたか。成長した息子は旧制からの生き残りである父親や母親と対立し、一家は映画の物語で実際に描かれたよりもさらに甚大な傷を負い、あるいは一家離散ということも十分有り得たのではあるまいか。

物事に鈍感のようで、確固たる信念のない人物像というのは、混乱する時代背景の前には得てして低く見られて背景に押し込められがちだけれども、物語中の彼らはむしろ角のない人物だからこそそこを生き抜いてくることができたのだと思われる。右か左かどちらに振れるかも判然としない世の中を、文字通り「偶さか」生き抜いてきたわけだ。だから〜だ、と何か教訓的なものを引き出せるわけでもない。そういう現実(のひとつのあり方)。とにもかくにも、こうだった。こうなった、ということ。そして今と、これからがある、ということ。それはしかし、人間万事塞翁が馬、なんてことではない。偶さか生き延びることがあっても、それまでに舞台から消えていった死者達の存在の重みはそこにどうしても圧し掛かる。言葉で言い表せば、どこまでも凡庸でしかない、そんな「現実」がある、あった、ということ。

(評価:★3)

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