★3 | 裏窓(1954/米) | 1点からのアングルのみで娯楽作を成立させるというアイデアを十全に駆使できる完璧な美術セットを手に入れながら慎ましやかなレンズ使いの古典品位。だが、それでも尚滲む出歯亀覗きのアンチモラル愉悦というファクターを取り去ると訴求するものは余り無い。 | [投票(1)] |
★5 | 真夜中のカーボーイ(1969/米) | 上辺にトライし打ち砕かれても受け入れ場所はある。そういう懐の深さを宿す60年代末NYアンダーグランドの混沌。定員制故に退場者は出るにせよ救済システムが一応機能した時代。その退場者を演じたホフマンの入魂が残像を刻印し詠嘆と余韻をもたらす。 | [投票(4)] |
★5 | 東京物語(1953/日) | 戦後小津フィルモグラフィ中、物語へ準拠が形式への拘泥と拮抗し、感情吐露が諦念と併置された点で『東京暮色』と双璧。スタティックな構図と華麗なカッティングのリズムの錯綜。そして、熱海での眠れぬ夜を海辺で過ごす老親への想いが絶対強度を付与。 | [投票(1)] |
★4 | EUREKA(2000/日) | トラウマに飲み込まれる兄と脱却できた妹の物語としてなら納得するが、この主人公の現実からの逃避や兄妹への共存志向には借り物の胡散臭さしか感じられなかった。60年代日本映画の最良の撮影を彷彿とさせる田村正毅の映画としてなら120点でも良い。 | [投票] |
★5 | 天国と地獄(1963/日) | 局地的でミニマムな相克なのに切迫と緊張を最大限に加重しロシア文学めいた神の荒野が現出する。テクニックも冴え「こだま」カットインによる省略と急転は4人の脚本家チームが小躍りする様が見えるようだ。一発勝負の苦肉はマルチカメラの臨場感を倍加した。 | [投票(1)] |
★3 | ベティ・ブルー/愛と激情の日々(1986/仏) | 相性の合わぬ男と女の腐れ縁の変遷が最悪の形で瓦解しゆく様を延々見せられてしんどいことこのうえないし、まあありがち。「インテグラル」ではなく初出版で見たかった。ただベアトリス・ダルのオーラは大したもんで彼女を見てるだけで飽きることはない。 | [投票] |
★5 | 羅生門(1950/日) | 脚本の徹頭徹尾なロジカル構成に対し、演出のパンフォーカス多用の人物配置は当意即妙で、パッションとエロスの発露に稀代の才能が2枚揃い、リリカルな瞬時の詩情をカメラは変幻に抽出する。真の天才的職人たちの奇跡のコラボレーションは最早伝説の領域。 | [投票(3)] |
★3 | 太陽がいっぱい(1960/仏=伊) | 虐げられた末の反逆なのであるから感情移入できそうなものだし、映画は技巧を尽くしてドロンに片寄せもする。実際ドカエのカメラが捉える瑞々しい心の揺らぎは海上や市場のシーンでスパークしてる。だが、奥底に横たわる異物が棘のように引っかかる。 | [投票] |
★3 | 鬼畜(1977/日) | 冒頭のタイトルバックのセンスは音楽の良さも相まって野村らしからぬ世界観の提示を期待させるが、後は普通。題材をボカさず徹底して突き詰めた気概は買いはするが正直凡庸な表現力だと思う。子役の無表情は誤魔化しと紙一重だ。 | [投票(1)] |
★3 | 恐怖の報酬(1952/仏) | 何度か繰り返されるサスペンスの山場はクローズアップの力感が漲り弩級とは言えるが、ドラマトゥルギーの欠如が決定的。食い詰め者達の脱出願望に更なる切実さが欲しかった。要はハートに沁みてこないのだ。 | [投票(3)] |
★2 | 野良犬(1949/日) | 情念と言うには淡泊でハードボイルドと言うには骨子が無い。技法に対する確固たる信念もあやふやで完璧に風化しており、とりわけ球場に於けるモンタージュに至っては三流でしかない。現在に於けるこの映画の価値は俺には理解不能。 | [投票(1)] |
★5 | ベニスに死す(1971/伊) | 主人公が乳白色の海を渡って辿り着いた白いホテルは、疫病の蔓延する湿った石畳の黄泉の国への入り口であった。メフィストフェレスに誘われ自壊しゆく男を豊穣なディテールをもってこれ以上ない精緻さで描く。内向するデカダンは突き抜けて至高に達する。 | [投票(4)] |
★4 | ひまわり(1970/伊) | 序盤の笑劇的導入が温いなりに効き悲劇への転調を際立たせる。絶望の中から見出した微かな希望を胸に1人行く異国。沈む気持ちに突き刺さる広大な向日葵畑と煽情的音楽は大向うを唸らせるこれでもか感だ。再会シーンの間の演出こそデ・シーカ最後の輝き。 | [投票(6)] |
★4 | 旅情(1955/米=英) | 行き遅れハイミスの感傷旅行のリード役は少年から頃合いの中年男へリレーされるが映画には悪意の欠片も存在しない。サンマルコ広場の景観が荘厳な華やぎで彼女の悲喜交々を彩るだろう。その端正なカラーの色調。そして傑出したラストの小粋なくちなし使い。 | [投票(2)] |
★4 | ローマの休日(1953/米) | 不可触人だが超可愛く、幼気な処女でオキャンで明るい。全オヤジが夢見る女の子との出会いの理想郷。漲るエロ願望は1度のキスで無理に充足させ、分別ある保護者的立場に身を窶す。ラストペックの万感の屈託と充足のオードリー。男には余りに切ない。 | [投票(1)] |
★5 | 気狂いピエロ(1965/仏) | 全てのシーンに横溢する哀感はポップな色彩と採光で皮相にも倍加され、縦横で流麗なカメラワークは運動の儚さを照射する。カリーナとの終焉が産んだ男泣きこそ繰り返し模倣され陳腐化していく先人達の遺業の中で断固としてそれを許さぬ孤高の美しさだ。 | [投票(5)] |
★5 | ソナチネ(1993/日) | ルイ・マル『鬼火』と並べてもいい「死にたい男」の厭世観が蔓延するキタノ・ブルー代表作。死に場所を探すでもなく唯待ち続ける倦怠感が沖縄の海と空の空虚さに助長される遣り切れなさを精緻に描いて奇跡的な達成度と思う。 | [投票(7)] |
★4 | あの夏、いちばん静かな海。(1991/日) | フィックスと歩行の移動のみで構成された反復のリズムが心地いい。サイレント基調なこともあり一種絶対映画の域に迫れそうだが、照れ屋のたけしは崇高化寸前でギャグのジャブをかまして外す。悪い奴は1人も出てこないが押しつけがましい善意も皆無だ。 | [投票(2)] |