★4 | サード(1978/日) | 実際、野球用語で書かれたシナリオと映画はまるで違うのだけど、要所に寺山色は見て取れる。屈折してはいるが彼らの青春の輝きは、無為に過ごすよりも少年院の中のほうが良いのではないかという錯覚を覚える。トラックを周回するサードは永遠にその場を走り続け、決してトラック外には行けないのか。 | [投票(1)] |
★0 | ボクサー(1977/日) | ’69年の天井桟敷と状況劇場の渋谷乱闘事件を覚えている者にとっては寺山と唐の両氏がタッグを組んでいるというだけでも感動モノでした・・。 | [投票] |
★5 | あゝ、荒野 前篇(2017/日) | 長い作品は編集能力が云々と揶揄されがちではあるが、この作品ではこの長さがじんわりと自分の気持ちをそちら側に寄せ、素直に中に入らせてくれる。うまく当てはめたなーと思えるほどのキャスティング。原作にあるとはいえ浮いた存在の自殺防止サークルは邪魔だなと思いつつも、かなり後半を期待させてくれる前編の仕上がりである。 | [投票] |
★3 | 草迷宮(1979/日) | 寺山の作品は短歌であり絵画であり詩である。人物さえも風景のひとつにしてしまう彼のつぶやきなのだ。しかし、ここには血の通った人間がいたるところにおり、その風景に息を吹き込んでいる。と、書くと褒めているかのように聞こえるが、寺山の作品の場合はそれが失敗となる。そういう意味でも稀代の作家ではあるが。 | [投票] |
★5 | さらば箱舟(1982/日) | 寺山修司の集大成的墓碑。彼はやはり昭和に生きた人であり、昭和と共に逝ったのだな、とつくづく。キャストの豪華さも含め、演劇界そして邦画界に一石を投じたことはまぎれもない事実。芸術的な作風の中に俗っぽい風景を混ぜることにより一気にあちら側に連れて行く手腕はさすが。 | [投票(2)] |
★5 | 田園に死す(1974/日) | この映画を観てから一気にアングラに毒され、自分の舞台ではラスト屋台崩しをしなきゃ気が済まなくなってしまった罪な一作。 | [投票(3)] |
★5 | あゝ、荒野 後編(2017/日) | 前後編併せてこの長編を一気見させてくれる力は大したものだし、特にイクチュンの別格の存在感はこの作品の宝だ。難点は寺山にとっては大きな関心ごとであった学生運動や街頭デモが、この監督にとってはたぶん興味がないということで、それならカットしておけば良かったのに、と思ってしまう。しかし、それに目をつぶっても他人に見たほうがいいよ、と勧める気持ちは存分にある。 | [投票] |
★3 | 上海異人娼館 チャイナ・ドール(1981/日=仏) | 人間もエロも描き方が中途半端なのはいつものことだから良いとしても物語がどっちつかずとは寺山らしくない。彼の作品はいつもディテールだけは完璧だったのに。キンスキーを前にして怖気づいたか。しかし、それもまた寺山らしいと言えば確かにそうなのではあるが。 | [投票(1)] |
★3 | 書を捨てよ町へ出よう(1971/日) | この頃は「反体制であること」がステイタスだった。後の寺山の短編実験映画に比べると思い入ればかりが目立ってクオリティはやけに低いが、その思い入れも圧縮されればときに『田園に死す』等の傑作を生むのだから怖い。しかし彼はやはり舞台の人だったと思う。 [review] | [投票(1)] |
★3 | トマトケチャップ皇帝(1971/日) | 寺山はいつの時代もテーマは「親と子」そして「絆」だった。本当に寂しがりやな芸術家だったんだなあ。 | [投票(1)] |