★5 | 8 1/2(1963/伊) | 人生に退屈してしまってから、初めて人生がみえてくる。映画の闇の中、胚胎された死の上で束の間集う人間達。原点は人生の始まりの記憶。 | [投票(1)] |
★2 | サブウェイ(1984/仏) | 地下鉄って映画的な空間(と、よく思う)。 | [投票] |
★5 | 勝手にしやがれ(1959/仏) | たとえば「男の子」と「女の子」。問題は此の「と」であって、そこに息衝く断絶と接続の運動こそ映画の全てだと言うこと。圧倒的に輝く光の白や煙の揺蕩が世界の無償の豊かさそのものなら、その中で男女は断絶と接続のキワを生きる姿を喜劇と悲劇の狭間で演じる。視線と視線は映画の視線を介して互いに断絶し合い、また接続し合い、つまりは「愛」を演じる。瞬間ごとに生きている本来の映画、映画の本来。 | [投票(1)] |
★3 | 髪結いの亭主(1990/仏) | 小児とっては女=母親であり、母親=すがり付くことが出来る下半身であり、顔を埋めることが出来るおっぱいであり、視界一杯の瞳や唇なのだ。 | [投票(1)] |
★3 | 仕立て屋の恋(1989/仏) | いきなり下半身に伸びる手、それを目を瞑って受け容れる女。冬のパリの凍てついた空気。妄想は妄想に留め置かれることで美しい(?)。 | [投票(1)] |
★4 | ベニスに死す(1971/伊) | 視線に身を委ねる映画。タッジオの美少年ぶりとマーラーに無理矢理引き込まれる映画。 | [投票(2)] |