★5 | オーシマは常にマイナーな人々に寄り添ったが、松竹的な弱者に寄り添ったのではなかった。 [review] (寒山拾得) | [投票(3)] |
★5 | タイトル通りの映画だと思ったら大間違い。 [review] (chokobo) | [投票] |
★4 | 愛も希望もない。 (太陽と戦慄) | [投票(3)] |
★2 | 鳩も鳴かずば・・・。クー。 (G31) | [投票] |
★4 | 正夫と京子は、出会わない方がお互い幸せだったと思う。正夫役が美少年な分、京子役のブスさが目立つ。['03.7.25京都文化博物館] (直人) | [投票] |
★4 | 殊更に斬新な主張があるわけでもないのだが、それでも別格的な印象を受けるのは、作り手の強固な意志の存在が抜きんでているからだ。人間感情の曖昧なロジックではなく幾何学的論理性のみに立脚した脚本。その蒲田イズムとの不整合こそ見物なのだ。 (けにろん) | [投票(4)] |
★4 | 物の善悪さえ狂わす吹き溜まりのような街で、誇りを持って生きる正夫。たとえ間違っていても彼の健気さは美しい。そこらの松竹映画とは一線を画す具象性に立ち返った脚本の力が大きい。 (マッツァ) | [投票(1)] |
★5 | 大島渚は「リアルと観念」をフィルムの上に両立させることのできる稀代の作家である、ということをデビュー作にして証明した。演技者を突き放してとらえるシビアな視線が、観る者の空想や情緒を徹底的に排除する。最後の5分間は身震いが止まらない。 (ぽんしゅう) | [投票(4)] |
★5 | 「愛」や「希望」を信じ、嘘によるその喪失を怒ったのはブルジョア娘だけだった。少年にはもともと「愛」も「希望」もなく、嘘だけが身近なファクトだったから、彼は笑えた。あるいはその笑いは、なくても生きてゆけるものを失って怒る娘への嘲笑だったかもしれない。 (水那岐) | [投票(3)] |
★5 | 貧乏人に手を差し伸べる金持ちが不美人ってのも大島リアリズムの一環なのだろうか。 (町田) | [投票(1)] |