★3 | 大冒険(1965/日) | 完璧なカットつなぎによる虚構化アクションなのか無謀なるぎりぎりの実写なのか判断すら許さぬ速度で植木等が画面を所狭しと走り回るとき、この映画は、ご都合主義と展開の破綻をつきぬけ、コマとコマのつながりであることすら忘れさせる、滑らかに視界を遊弋する1枚の絵巻と化していた。 | [投票] |
★3 | 花は贈らないで!(1964/米) | 今からでも遅くない。喜劇に奥深さを与える、日本のトニー・ランドール、登場せよ。 [review] | [投票] |
★2 | アビエイター(2004/米=日=独) | ハワード・ヒューズが本当にこんな男であれば、こんな男を映画にすることをひきうけたマーティン・スコセッシは凡庸といわざるをえないが、仮にハワード・ヒューズがこんな男でなくてもこの程度の男にしか造形できなかったマーティン・スコセッシは凡庸といわざるをえない。 | [投票(1)] |
★4 | 恐怖のメロディ(1971/米) | 狂気を宿していても我々観客の理解可能な領域ぎりぎりの地点に造形されたマージナルな女の存在感が際立つ。深い孤独と屈折した希求が一転して直線的な暴力に転じるプロセスのリアルさ。典型サイコを描いていたらこの映画の物悲しさはうまれなかった。究極のラブストーリー。 | [投票(7)] |
★3 | オランダの光(2003/オランダ) | 光をめぐるテーマの映画らしい気の使いよう。こころもち調子をハイにした撮影と、広々とした場所にセッティングされたキャメラの位置によって大気の透明感を美しく表現。しかし、映画は総合芸術。自然効果音や、静かでおちついたナレーターの声も透明感の表現に巧みに加担している。 | [投票] |
★3 | シー・ホーク(1940/米) | 強さ・リーダーシップ・忍耐・慈愛・勇気・団結・エロスといった清濁混交した少年の夢想を絢爛と縦糸にも横糸にも織り込んだタペストリ。スターの中にあってもなお源流のスターといえるエロール・フリンの男ぶりのよさを堪能すればそれでよい映画ではないか。 | [投票] |
★5 | ミスティック・リバー(2003/米) | 人生が、なぜ時が経つにつれ各人各様の相貌を持つようになるかが、手にとって眺められるくらい、実体的に描かれている。画面のどこかに必ず用意された暗部から立ちのぼる上質ではあるが諦念に満ちた知性の香気を深々と味わった。文句なしの傑作。 | [投票(2)] |
★3 | 竜馬暗殺(1974/日) | 浅い被写界深度で、粒子が荒れ、暗部と明部のグラデーションが乏しいフィルムの古色にこの映画の命がかかっている。「竜馬のドラマ」ではなく「ある日の竜馬」がここにある。何でも写す神の目としてではなく、たまたまそこにあった1台の機械としてキャメラが機能することの正しさに立ち戻った映画。 | [投票(7)] |
★3 | 座頭市血煙り街道(1967/日) | 子役を使うと座頭市は光るが、なによりこの作品を重量感のあるものにした近衛十四郎 の存在が光る。ラストの決闘の場に降る雪のスピードと量のなんと完璧なことか。寂寥感あふれるロケシーンの美しさも特筆物。ラスト以外の殺陣の工夫のなさや脚本のむらっ気が残念だった。 | [投票(1)] |
★1 | 狂っちゃいないぜ!(1999/米) | まっとうな家庭と責任ある仕事を持つ男の陥る落とし穴をコメディタッチで描くという狙いだと断言していいのか、最後まで意図不明な映画であった。ビリー・ボブ・ソーントンの存在がとにかく不可解。演出もこの混乱した脚本を整理することは出来なかったようだ。 | [投票] |
★4 | エデンより彼方に(2002/米=仏) | 公民権運動やそのほかのムーブメントが一挙に噴出す直前のアメリカが、歴史的な過去としてでなく歴史的な現在として語られる。それを甘美なアイロニーとして表現するための装われた古風さに目を奪われる。彫琢鏤骨のアート・ディレクションは完璧に近い。 | [投票(1)] |
★1 | コール(2002/米=独) | おのおののヤマ場が盛り上がらず、ストーリーだけが滑っていつの間にかエンディング。映画にはB級・C級を見る楽しみはあるが、2流・3流を見る楽しみは、やはりなかった。タメのなさだけは超一流。 | [投票] |
★2 | 続へそくり社長(1956/日) | 前編『へそくり社長』で出て来たいろいろな伏線が、結局しけったままクライマックスを迎えず。八千草薫 と司葉子の娘盛りの可愛さを堪能する以外、他に見どころ全くなし。特に三木のり平を出したのなら、もっとちゃんと出番を作って欲しかった。 | [投票] |
★2 | SAYURI(2005/米) | 欧米人のアジア・イメージをだしにして幻想日本のごった煮を作り出したゲーム感覚は、なまじなリアリズムを切り捨てていく覚悟も見えるだけにむしろ小気味よいが、感情移入などとてもできそうにない、リアルさのかけた人間しか作り出せなかったことを許すわけには行かないだろう。 | [投票(2)] |
★3 | シャーロット・グレイ(2001/英=独=豪) | ここまで意志的で強い表情の出せる女優は、今、ケイト・ブランシェットを措いて他にいないだろう。毅然、真摯、慈愛、決意、克己。昨今、わが心の開かずの蔵の中ですっかりほこりをかぶり形を失ってしまったものが、フィルムの中に光り輝いているのを見る。 | [投票] |
★4 | 二人で歩いた幾春秋(1962/日) | 木下恵介の最も木下恵介らしい一編。「抗いようのない大きなものの中で懸命に生きる人」を描くことを好む木下の最も強い武器は、大きな自然の中で小さくより添い合う人の構図を巧みに取り入れること。この映画にも頻出する木下の逆説的な映像マジックだ。その結果、 [review] | [投票] |
★2 | 笛吹川(1960/日) | 橋と川のもつ映画的効果を最大限に活かした作品。川のほとりの古いあばら家や、この家にまがまがしいものを持ち来る橋などの舞台設定はとても秀逸。川の土手をスクリーンの右端から左端まで走っている若者をキャメラで遠くから捉えた場面は気が遠くなるような映画的美しさに満ちる。しかし、 [review] | [投票(1)] |
★4 | 椿姫(1936/米) | 純愛が無残に引き裂かれていくストレートな物語を、格調高く歌い上げた名品。朗々としたアリアのような物語を目で楽しもう。ウィリアム・H・ダニエルズ と カール・フロイントの、白と黒の間のあらゆる色彩の諧調を使い切ったような撮影はモノクロ撮影の極致。 | [投票(1)] |
★3 | 12モンキーズ(1995/米) | 筋がややこしい上に長尺というのは大きな弱点。しかし、ブラッド・ピットのよいお勉強振りがうかがえる演技や、動物たちが跋扈するシュールなシーンはよい出来栄え。特にヒッチコック作品の引用による夢幻的効果は神業に近い。→ [review] | [投票] |
★2 | へそくり社長(1956/日) | 起承転結の転に入っていないのに、もう終わりという長々しさがいけない。森繁久彌は受動的な役をやらせると抜群の冴えを見せるが、その人が社長をやるという違和感が映画を見続ける原動力となる。古川緑波の味は、今出せる人がおらず、見ものだった。 | [投票] |