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水那岐さんのコメント: 更新順

★4メタモルフォーゼの縁側(2022/日)結局、40年前に自分が辿ろうとしてコケまくった道をなぞるようなものながら、本質が違っていた悔恨はある。自分を売るのに夢中で、仲間に追いつくのに必死で、一時期は己のアホさに苛まれ、それでも凡庸なエカキとしては宮本信子のように「送り出す側」に立ちたい、と思いつつあれも才能だ、と気づく。[投票]
★3花まんま(2025/日)一種の怪異譚を人情噺に落としこんでゆくわけだが、使い方に最小限の品位を保ってはいるので、よくある奇譚に振り回されるような結果にならなかったのは美点。ただ、鈴木亮平の扱いにも節度を効かせてほしかった。スパイスも妙味を感じさせる程度がいいので、料理を先導してはちょっと気が冷める。[投票(1)]
★3ババンババンバンバンパイア(2025/日)実に類型的と言うか、意外な展開などカケラもないのがこの映画の本質なのだが、俳優力に救われている。吉沢亮の底力を見るかぎり、未見の『国宝』への万人の満足は偽りではないと確信できるのだ。高校生たちも素で素晴らしいし、陳腐な物語にワクワクが止まらない。[投票]
★3そばかす(2022/日)かなり難しいスタンスの三浦透子に戸惑い続けた。共感できる部分は多々あるが、彼女より弱い俺は彼女の「妥協」と「反発」を見せられ、第三の道はないかと考えあぐねてしまう。あるわけもない結論を示してほしかった自分は、ただの弱虫なのだろうが。「どこかで一匹狼が集うパーティーはやってないか?」という冗談を思い出した。やっぱり答えはない。[投票]
★3一度死んでみた(2019/日)想像したよりは笑える小ネタはあった。ただ、この映画を愛おしく思える観客というのは、結局広瀬すずを徹底したコメディエンヌと見たくはなく、ツンデレながら可愛い娘となってほしいお父さんなのだなあと気づき、ちょっと悲しくなったのだ。理屈抜きでむしろゴーストに感情移入できない自分が遣る瀬無い。ゴメンなさい、俺はフケたくない馬鹿なのです。[投票(1)]
★4志乃ちゃんは自分の名前が言えない(2017/日)醜いところから始まり、醜いままで終わる。大切なのは触れ合いごっこではなく、醜い自分を認めることなのだ。お調子者で、プライドのお化けで、友情と愛情の区別がつかないゆえに理解者の友人に嫉妬し、言わばただの子供である少年少女。彼らに美しい結末など恵んでやらなくていい。ただ言え、ひとりの人間として生きろと! [review][投票(1)]
★2ルックバック(2024/日)漫画でメシを食った経験者として言う。俺たちの頃とは比較できないほどハイレベルな画力を持ってるのに、なぜピエロを演じて世間のご機嫌をとる。俺の行ってたヤンキー高校の同じ学年に3人は漫画で身を立てた男がいたが、みな普通に健やかな若者だった。いつまで前時代の偏見を引きずるのか。稀代の歌手や天才バッターと同じ、ただの取り柄のある普通人なのだ。 [review][投票(1)]
★3マイ・ブロークン・マリコ(2022/日)女だったら救われたろう。だがタナダユキは無頼そうな女が自暴自棄になっても、ちゃんと天使みたいな男が救ってくれるのを知ってるあたり狡猾である。男の俗物性を大っぴらに罵倒しながら、最後は当然のように力を借りるのだ。理不尽さに怒りがこみあげてくるが、そういう世の中だ。永野芽郁に憧れながら俺は孤独死するしかない。[投票(1)]
★4熱帯の黙示録(2025/ブラジル)宗教は必ず腐敗し、教祖の思想を裏切る。それは多くの原理主義者の行動で証明されてきたことだ。新たに誕生した思想が、絶対的な人々の支持を得るために代表の聖典に救いを得、ちょうど都合のいい文章を見つけ、無謬のお墨付きを得るからだ。宗教の宿命は多くの弱者に、残酷な事実を暴露して見せられねばならないことだ。[投票]
★3二人の銀座(1967/日)歌謡映画としてはこういう「寄っても触れず」の関係がちょうどいいのだろう。青年たちが夢を叶えもせず、恋が膨らんでいくのでなくとも。和泉雅子も、海外に雄飛する国際スターへの夢を抱かず(かの『非行少女』!)自分のしたい事をして天に召された。彼女が不運だったと誰も言うまい。[投票]
★3どん底だって平ちゃらさ(1963/日)基本としては「不幸な境遇におかれた子供たちを、民主国家日本はどうすべきかの検証」の映画なのだろうが、作為的な「不幸のための不幸」はこの時代を鑑みても過剰であり、フィクショナルであり過ぎる。問題提起というよりは、これは泣かせとしてしか機能しない類のプロットで終わっている。[投票]
★2006は浮気の番号(1965/日)喜劇の煌めきを欠く。由利徹ら手練れの喜劇人を揃えながらも、劇映画を主戦場としていない近江俊郎を監督に据えた結果、映画的リズムの欠落した大作に貶められている。挿入歌のフルコーラス披露を諦めても、プログラムピクチュアの尺で撮るべきだったのだ。[投票]
★4LUPIN THE IIIRD 銭形と2人のルパン(2025/日)長寿シリーズとして骨抜きにされたものの、トムス・エンタテインメント社のドル箱であるこのシリーズが、本来のオトナの鑑賞に耐える作品群をも生き永らえさせてくれるのは嬉しい。小池健監督シリーズは次作で終了するらしいが、ぜひモンキー・パンチ作品の洒落っ気と毒は今後も受け継がれてほしいものだ。[投票]
★3エストニアの聖なるカンフーマスター(2023/エストニア=フィンランド=ラトビア=ギリシャ=日)ぬるい展開には嫌気がさしてくるものの、ロシア正教というおごそかで、厳格で、そして退屈極まる伝統の継承者を、それでも国家権力に歯向かう民衆の力として、わざと香港映画的な勘違い要素を付加してみるところに、虐げられた民のオプティミスムは見い出されて珍妙な面白みはある。洗練とは無縁だが、泥臭いユーモアも多少の親近感は抱けるものだ。[投票]
★3岸辺露伴 ルーヴルへ行く(2023/日)こういう理屈ではない怪異譚というのは、やはり画面の説得力がモノを言うのではないだろうか。荒木の絵というのは言うまでもなくただのリアリズムではないので、情念の籠った絵を画面上に展開できなければ、説得力は大半が失せたも同じだ。カメラに品格があるのは褒められるが、やはりこの「邪悪な黒」を再現できない時点で恐怖は表現されていないと見るべきだ。[投票]
★1この若さある限り(1961/日)醜悪の一語に尽きる。才能にも富にも恵まれ過ぎたブルジョワ少年に仮託された、エロ中年男の幼いばかりの妄想…こんな身勝手な男性の誇示者が、安直に認められる世界など何処の時代にもない。実際のところ、原作者も演出家も「女」というものを侮り過ぎているのではないのか。[投票]
★4ウィキッド ふたりの魔女(2024/米)本格的に、重壮に建設され形作られたミュージカルとして楽曲の重さは機能し、役割を演じつつ現代的な感情と意志を仕込まれた魔女たちには時代性が豊かである。思想性に富む作品のリベイクに、人間ならではの信念のブレを仕込まれたアリアナもただの薄っぺらな反対者でないことが期待を持続させる熱演だ。[投票(2)]
★0映画『からかい上手の高木さん』(2024/日)原作未読ながら話の構造を判ったつもりで視聴。…大誤算だった。マンネリの果ての応用編だったのだ。「からかい」で終わるべききっかけに意味があったり、もう後がなかったり、ともかく二人はオトナなのだ。それゆえに脱線のオモシロさはないが、ファンにとっては贅を尽くした物語だろうという困った展開だった。 [投票]
★5こんにちは、母さん(2023/日)ああ、これはまぎれもない老人映画だ。大泉洋が、永野芽郁がこんな古臭いセリフをしゃべるもんか。こんな人情は下町でも廃れてる!そして吉永小百合にブルジョア夫人しか演じられるもんか!幻想と非現実の極致を見ながら、本当に腹で泣きに泣きまくる。自分も還暦過ぎたからこそ、こんな絵空事に惹かれたのだ。山田洋次よ、このまま我が道を行ってくれ!![投票(1)]
★4俺物語!!(2015/日)映画は一夜の夢だ。永野芽郁の初々しさが、鈴木のマッチョボディよろしくフェイクであってもそれが何だというのだ。ゲスな芸能記者を嘲笑うかのように、彼女の俳優としての力量はつねに役柄を完璧に憑依させる。俳優とはそういうものだ。愛が俳優のポテンシャルを増大させる!文春如きに滅ぼされるワケもない。[投票(1)]