寒山拾得さんのコメント: 投票数順
ノーバディーズ・フール(1994/米) | ポール・ニューマンが戯れに、同乗させた孫に自動車のハンドルを任せる場面がいい。次のカットで自動車は対向車とスレスレにすれ違い、観客は座席から飛び上がることになる。その他は平凡。 | [投票] | |
風吹く良き日(1980/韓国) | 「おれはいま悲しみたいんだ」という科白が印象に残る。楽しみたい、喜びたい、は日本語だが、怒りたい、悲しみたい、という表現は日本語にはない。韓国の国民性が文法に表れている。 [review] | [投票] | |
お遊さま(1951/日) | ミゾグチの不調期とは要するに物資不足とイコールではなかったのだろうか。カットの性急な呼吸は戦前の傑作群から後退甚だしく、残念。『西鶴一代女』のたっぷり感まであと半歩。 [review] | [投票] | |
柔らかい肌(1964/仏) | 情事の暗喩ってのは暖炉の炎などが定番だが、これを食べ残しの朝食をつつく野良猫で示すクレバーさに惚れ惚れとする。冷淡なアイロニーだが、同時に艶めかしくもある。 [review] | [投票] | |
斬る(1962/日) | 仏間の入口から突然はじまる異様な緊迫感に、我を忘れて見入った。 [review] | [投票] | |
特攻大作戦(1967/米) | 平凡なアルドリッチ。バラバラだったクラスがひとつにまとまった夏のキャンプ体験といったところ。何も後に残らない。 | [投票] | |
桂子ですけど(1995/日) | 子供の頃だれもが時計の不条理を考えるはずで、真正面からこれを取り上げた本作は学生レベルの青臭さが横溢しているが、それでも才能のある人が撮ると閃きがあるものだと感心した。蜿蜒と続く横移動はフィリップ・ガレルですね。 | [投票] | |
時雨〈しぐれ〉の記(1998/日) | 古典は世につれ読み替えられるものだ [review] | [投票] | |
きけ、わだつみの声(1950/日) | リアルな不条理劇 [review] | [投票] | |
リバー・ランズ・スルー・イット(1992/米) | 感動作の建前を裏切る娼婦など端役への視線の冷たさが致命的。この監督に『煙突の見える場所』をリピートで観せてやりたい。 | [投票] | |
フィルム(1965/米) | キートンの伝記を読んで、自身の本作の解釈に深く感動した。曰く、「人は他人から逃れることはできるが、自分から逃れることはできない」。彼の創作した喜劇群にも、この言葉は反響している。 | [投票] | |
森と湖のまつり(1958/日) | いかにも駆け足で原作をなぞった印象。 [review] | [投票] | |
赤頭巾ちゃん気をつけて(1970/日) | 途中までは死ぬほど退屈だが、ホテルの最上階レストランの件は説得力があり、俄然興味が沸いた。 [review] | [投票] | |
バード(1988/米) | 「駄作なのは匂いで判る」とディジー・ガレスピーは云った。 [review] | [投票] | |
変身(2002/露) | 家族の不幸を全面に出した、なんとも凡庸な出来。我々がカフカから継承すべきは、別の豊穣な何かであるはず。凡庸に語りたいのなら余所でやってほしいし、映像にならないなら撮らないでほしい。 | [投票] | |
シン・レッド・ライン(1998/米) | 敵兵も含め、兵隊のほとんどが大岡昇平だったらこうなるという戦争映画。リアリズムは差し置いて、ひとつの理念(理想)として語られる。高地戦の陣取り合戦などの「面白さ」はしかし、大岡昇平をも興奮させるリアリズムの毒がある。 | [投票] | |
六條ゆきやま紬(1965/日) | ここは山水館か [review] | [投票] | |
トレインスポッティング(1996/英) | ラリって赤ん坊を死なせてしまう件が残酷。報いであるべき主人公のコールド・ターキーが、妙にポップで面白半分なのがおぞましい。こんな感想は分別臭いか。 | [投票] | |
みな殺しの霊歌(1968/日) | かつて吉本隆明は松本清張の作品を、酷い目にあった者は何をしても許される世界と評した。加藤泰も三村晴彦もこの系譜に属しており(清張の『天城越え』も撮っている)、本作は典型的。佐藤允と倍賞千恵子が不思議といい相性。 | [投票] | |
パルチザン前史(1969/日) | 「暴力は悪じゃないよ」 [review] | [投票] |