★4 | 宗方姉妹(1950/日) | 失う物をなくした大人たちが陽気に爆弾を放り合う。殊に、死期の近いことをにこやかに語って周囲を脅しながらゾンビ化する笠の前では、せっかくの絹代と山村聰の肉弾戦も霞む。高峰への言葉責めも鬼畜。
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★4 | 英国王のスピーチ(2010/英=豪) | ヘレナ、嫁に来ないか。 [review] | [投票(1)] |
★4 | ヒア アフター(2010/米) | ジミー大西の魂を眺める享しみを可能にする技術的欺瞞は、暗愁も久しい彼の顔面に微笑が宿るに至り、造形の官能性で以て不毛な自然のスペクタルを圧倒する。その様子を宇宙の中心たる料理教室からシェフが牧者のようなまなざしで見守っている。 | [投票(1)] |
★3 | ザ・ヤクザ(1974/米) | 高倉をドラえもん化するオミッションも、高倉という暴力の制御問題と考えれば、エンタメとして不都合はなかったはず。ところが、ポラックのロマンティシズムは、ありもしない当事者意識の在処をめぐって猟奇的に内向する。 | [投票(1)] |
★4 | X-MEN:ファースト・ジェネレーション(2011/米) | 物語の自意識が恥への悦ばしい近しさを呼び覚ましている。それは男の友情に向けられた下世話な興味であり、コスプレに抗うリアリズムへの忠誠でもある。やがてヒールを一身に担うケヴィン・ベーコンの微笑みが物語のロジカルな自意識を溶かしてゆく。 | [投票(1)] |
★3 | トゥルー・グリット(2010/米) | ヘイリーが聡明さゆえに死者への負債にはまりこんでしまう様を、無理矢理イイ話に見せようとする文芸の力業に見える。これはジェフ・ブリッジズのうさん臭さが悪い。『トロン』で人でなしのおとんを演じて以来、きゃつのことが信用できなくなっている。 | [投票(1)] |
★4 | 至福のとき(2001/中国) | 失業したオヤジどものユートピアと美少女の虐待観察の織りなす意識の起伏は、イーモウの夢見るサディズムがまどろむ揺りかごだ。 | [投票(1)] |
★4 | 娘・妻・母(1960/日) | ホームムービーで高峰を虐使するのは序の口で、それを嘲笑する形で原の人格を貶めるねちっこい私憤(=小津しね)。笠智衆の虐待を美談としてしまうラストに至り、私憤が人類不信を超えてしまうのも、感動しつつ混乱。 | [投票(1)] |
★4 | SP 革命篇(2011/日) | このまごうことなき堤のアイドル映画にあっては、香川の小物感がやはり不協和音。ところが、堤を制止すべく立ち上がった彼にフレームが寄った時、われわれはその余りの小物臭にかえって衝撃を受けてしまう。香川という造形的悲劇が世界の底に穴を開けたのだ。 | [投票(1)] |
★3 | 懺悔(1984/グルジア=露) | 凡庸こそファナティックというのも、むべなるかなとは思うが、その路線からすると市長を虐待する話にしか見えなくなってしまって、どうも自分にはこのATG映画が苦手だ。 | [投票(1)] |
★4 | 太陽に灼かれて(1994/仏=露) | 表徴と兆候の精妙なる驕慢の中で、ややもすると自分を見失いがちな映画が、苛烈な物腰の中にジャンルムービーの明晰さを思い出す。 | [投票(1)] |
★3 | きみに読む物語(2004/米) | 愛が遡及的に確かめられるから、語り手には、実際に愛の実効した回想の現場をお座なりにする余裕が出てくる。回想パートでは、脈略のない出会いと別れと再会に翻弄される恋敵ジェームズ・マースデンに観察対象の資格がある。 | [投票(1)] |
★3 | クヒオ大佐(2009/日) | 堺を貶めてなお、彼に騙された松雪らの高潔さを保とうとすると、不幸の斟酌に依存する話をやるしかなくなる。堺らしく作り込まれた陽性の造形は、キャラ間のパワーバランスの繕いに浪費され、島国の陰湿な自我を持て余したように見える。 | [投票(1)] |
★4 | 暴走機関車(1985/米) | ヴォイトの発狂の唐突さから、過去の経緯の強度を立証するのはよいが、スーパー所長ライアンが実際に愛を暴力的に確認する場に至ってヴォイトに尻込みしては、行動の正当性に対する責任が曖昧になる。不条理なオヤジどもが体を張ってエリックを教育した趣。 | [投票(1)] |
★3 | さらば友よ(1968/仏) | 実感を伴わず愛が醸されたとすると、愛は他者に向かったのではなく、美意識を高める手段となって、ブロンソンの中に閉塞したといえる。しかしアラン・ドロンの心理に傾斜すると、彼のツンデレ映画という見立てが出てくる。「イェー」は愛の閉塞を破る号砲だ。 | [投票(1)] |
★4 | クライマーズ・ハイ(2008/日) | 人物に移動量を迫るセットと広角で、心理劇よりも空間性を選択した映画。山崎努の好々爺ぶりも手伝い、内面より解放され揺籃のようにゆるふわとなった北関東新聞編集局がドラマ版に対して行った最大の差異化が堺雅人のアイドル映画化。うれしくもくやしい。 | [投票(1)] |
★4 | カラフル(2010/日) | 記号の集積であるアニメがリアリズムを志向したため、段取りが増えがちになり生気が失われたのか。あるいはリアリズムの文法に不慣れなだけか。宮崎あおいや藤原啓治がよくはまって見えるのは、それだけ造形が記号的で演じやすかったのだろう。 | [投票(1)] |
★4 | 孤高のメス(2010/日) | 早々に充足される夏川結衣のモチベーションが話の発展性の余地を狭め、善人の馴れ合いよりも、生瀬勝久の劇画のように黄昏れる人間性に興味を誘われる。だがその裏では、堤真一のアイドル映画化が着々と進行するのであった。 [review] | [投票(1)] |
★3 | SP 野望篇(2010/日) | 顔面を伸縮させて無理やり貫禄を醸し出そうとする香川照之が泥臭い。方法論としては柳葉敏郎と同じだが、香川のそれには愛嬌が微塵もなく、ドブ板議員の悲哀があふれる。が、やはり鬱陶しいことには変わりなく、真木よう子観察の妨害にしかならず。 | [投票(1)] |
★3 | シングルマン(2009/米) | 分節化の激しさには功罪がある。電話の会話のように、カットの割りすぎが男女の心理説明を引き裂きもすれば、心理の錯視が好意の信憑性をめぐる取引を醸し、その性急さがメロドラマの効果に及ぶこともあろう。色々と鼻腔の膨らむ話である。 [review] | [投票(1)] |