[コメント] 七人の侍(1954/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
黒澤明という人が、神様に選ばれて世にその声を届ける役目を担った人であったならば、この映画はその彼が、神様に向かって投げた石つぶてだ。
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この映画は娯楽映画だと言われるが、ちっとも爽快じゃない。結局、誰も、本当に勝った者などいない。勘兵衛は「勝ったのは百姓だ」と言うが、それはほんの一時のことに過ぎないではないか。百姓は、年貢を取りたてられ、どこか別のところからやって来る野武士に脅え、大雨や大風や日照りに苦しみ、落武者を狩って生きていかねばならないのだ。これからもずっと。
そして侍は孤独だ。生産の歓びに溢れる村。それを遠いところから見つめるように並ぶ四つの墓。生き残った者も、百姓たちと手を取り合って共に喜ぶことなどなく、その場を去りゆく。それが侍というものの宿命だからだ。何も産み出さず、ただ殺し殺される為だけに存在する者。その手ひとつに人の生き死にを握る者。そのことに自覚的であればあるほど、侍は孤独になる。
そんなことばかり繰り返し言っているこの映画が、決してニヒリスティックでないのは、黒澤明が本気で怒っているからだと、わたしは思う。神様に向かって「あんたが作ってほったらかしにしているこの世ってヤツは、なんてデタラメなんだ!!」と、まるで菊千代のように唾を吐き散らし、声を嗄らして怒鳴っている姿が、見えるような気がわたしにはするのだ。
天に向かって唾を吐きかければ、自分に振りかかる。石つぶてを投げれば、それは落ちてきて自分の頭に当たるだろう。そのことを知っていて、それでも唾を吐き、石を投げずにはいられない人間のやるせなさ、もどかしさ。それこそがこの映画のアナーキズムであり、ヒューマニズムだと思う。わたしはそのことに、力いっぱい胸を叩いて、賛同を表明する。
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そういったことをおいても、三時間半の間、いっときも飽きることなく、ワクワクと胸躍らせ、ときにクスクスと、ときにガハハと笑い、泣き叫びたい衝動に駆られ、映し出されるものに目を見張り、何度も身の震える思いをした。
この映画を観られて、わたしは今日まで生きてて本当に良かったと、心から思う。
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