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[コメント] 告白(2010/日)

語られるのは女教師による「命の重さ」についての、いわば裏正論である。中島哲也は「裏」が持つ危うさや後ろめたさを、歯切れの良い快活な演出で巧妙にはぐらかし、立場や通念という感覚を麻痺させる。焙り出されるのは「裏」が「表」を凌駕する高揚と寂寥と錯覚。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







観終ってしばらくしてから、自分のなかで社会通念という感覚が麻痺していることに気づいた。中島哲也はエンターテインメント映画に対する類まれなる演出感覚で、少年法や教育や、HIVやシングルマザーという面倒くさい表の正論を、森口(松たか子)の揺るぎない復讐心という、いたって魅力的な裏の正論で覆いつくしてしまう。この救いのない後味の悪い映画が、娯楽映画としてもすこぶる面白く(誤解を恐れず書けば)楽しいのはそのせいだ。

そして、麻痺していた感覚がもとに戻ったときにやっとこの映画の罠に気づく。表の正論にしろ、裏の正論にしろ、それは物事を片方の側からとらえているにすぎない。揺るぎない復讐心が少しでも緩んだら、あとに残るのは自己解体寸前の虚しさだけなのだ。森口(松たか子)がときに見せる投げやりな虚ろさや、号泣や怒涛の口撃の果てにつぶやく「ばかばかしい」や「なんてね」というはぐらかしの言葉に、自らが立ち止まった瞬間に襲いかかってくる凄まじい寂寥への、懸命で悲しい抵抗が滲む。

一方向からしか物事を見ることしか出来なくなった者の不幸。つまり、表にしろ裏にしろ、正にしろ負にしろ、複眼的視点を失った一方的な正論がもたらす復讐の高揚は、ひとりよがりの錯覚のうえに成り立っているのだという不幸。これは、複眼的視点を見失っていたという点で、渡辺(西井幸人)や下村(藤原薫)や美月(橋本愛)ら生徒たちの、自らコントロール不能な傲慢さや不幸ともまた深くかかわっているのだ。

(評価:★5)

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