[コメント] 許されざる者(1992/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
人を銃で撃ち殺す、または銃で撃たれて死ぬ、とはいかなることなのか。この映画はとことん追求する。人を撃たなければならない状況になったときの心の動揺、恐ろしさ、撃たれるという恐怖。そしてある程度出た結論は、「常人には人を撃つことはできない。」ということだった。途中まで見ると、この映画は銃規制キャンペーン映画のように見える。いや、イーストウッド監督がどのような思想なのか知らないのだが、実際そうなのかもしれない。
しかしそこまで銃の恐怖を我々に叩き込んでおいて、最後にイーストウッド自身が敵集団を銃でバンバン撃ち殺す大殺戮を披露する。しかも真っ先にボスを殺し、その後雑魚をなぶり殺し、伝記作家とともに我々が呆然と見守る内に、暗い夜の土砂降りの中を去っていく。カタルシスも何もない。
ここでイーストウッドはこう言いたいのではなかろうか。
西部劇の中において、銃で人を殺すということは言語道断の最低の行為であるが、ヒーローはそれが出来る「資格」を持つ唯一の存在である。しかしそれが出来る人間はやはり呪われた存在であることに変わりはなく、それでもヒーローはそれをやるのだ。そういう絶対的孤独を引き受けられる人間がヒーローたりえるのだと。
特にイーストウッドが若いころ主演していたマカロニウェスタンでは無造作に人が撃ち殺されたりエグいシーンが多く、残酷趣味が過多だった。そうした映画の中でイーストウッドは常にいわゆる一匹狼を演じていた。そういう映画人生を踏まえ、人が問題にしたくなかったことをあえて問うた。それは自身の人生を問うことでもあったのではないだろうか。
ここに、イーストウッド監督の娯楽映画への妥協を許さぬ姿勢を感じ、身震いする思いである。
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