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[コメント] グッドフェローズ(1990/米)

ヘリコプターの視点/ヘリコプターから見張られているという感覚
グラント・リー・バッファロー

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







90年代以降に活躍した監督の多くがお気に入りの作品の一つに挙げる本作。確かに主人公の独白めいたナレーションや後半の展開は『トレインスポッティング』を連想させるし、一人のギャングとそれを取り巻く(小さな)裏社会の興亡史を描くのと同時に、後半麻薬密輸の一日を丹念に追っていくところは、ポール・トーマス・アンダーソンの『ブギーナイツ』や『マグノリア』の要素が一まとまりになっているようにも見える。(犯罪をおこなう「一日」の空が妙に晴れ、青いあたりが、クエンティン・タランティーノの『ジャッキー・ブラウン』を思わせたりもするが、さすがにそれは考えすぎ?)

ただそれ以上に、一つの作品のなかで雑多な要素を混ぜ込み、さまざまな語り口を産み出していったことに注目したい。冒頭、死体を埋めるシーンを先に登場させるがそれは結末への伏線ではなく、あくまでそれはたくさんある中途のエピソードのなかの一つに繋げただけに留まる。それは、構成力不足とかそういうことではなく、敢えてそういう感じにしたように思えるふしがある。それは、マフィアとその家族たちが織り成す一つの世界を緻密に作りあげていった『ゴッドファーザー』とは対照的なあり方である。

マーティン・スコセッシの関心は、映画やテレビなどで美化されて描かれているギャングの実態を、例えば食生活や日々のやりくりなど微細な部分に至るまで追っていくことにあった。だがそもそも、映画の中でのマフィアややくざなどは例えば「絆」や「任侠」、「孤高」などの抽象的な概念を具体化させるのにうってつけな存在だからこそ登場するのであって、美化されることのない本物のマフィアに特別の関心をもつ人がそれほど多いとは思えない。

しかしながらそうしたスコセッシの試みが、今までの話とは異なった語り口を産み出した。そういえば、タランティーノの作品も、細かな、外から見るとなんでそんなことに興味を持つのかという些細なことへの関心(例えばマドンナの歌の解釈をめぐる話やアムステルダムの合法ドラッグの話だとか)がいくつも組み合わさってつくられたものである。タランティーノは作品中で一つの「道徳」が保たれることを重んじた。その言葉だけでは映画作品においてどのような影響を及ぼすのか明確にはわかりにくいが、そうしたタランティーノの意識によって、雑多なものが一つの作品に見事にまとまっている。

『ゴッドファーザー』は古典的な話法を用いた傑作だと思う。しかし、本作の後半の「一日」に登場するヘリコプターの視点、いわばマフィアの世界を外から眺めるという感覚は『ゴッドファーザー』には存在しないものだった。また、主人公やその妻によるナレーションも自己と自己の属する世界を外から見ているという一種の批評性にも似たものの表れだったのだと思う。それと同時に「一日」で主人公が感じていたヘリコプターから見られているという感覚、それは不安にうち震える自己の内面の吐露でもある(そしてそれも『ゴッドファーザー』にはなかったもの)。物言わず行動で示すマフィア映画から、外へ内へと拡散していく90年代作品へ。私が90年代作品(シネスケでは「90年代クール系」としてまとめられている作品+ウォン・カーウァイ作品+ポール・トーマス・アンダーソン作品)を好きなのもそうした所以からかもしれない。音楽も一貫したものよりは、本作のように絶え間なく無秩序に(それでいて実際はある意識によって統一されている)鳴り響く本作のスタイルがより好きである。撮られたのは80年代後半だろうが、90年代の始まりを告げた問題作。

(評価:★4)

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