[コメント] オール・アバウト・マイ・マザー(1999/仏=スペイン)
映画を見終った人むけのレビューです。
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シングルマザー、ホモ、ゲイ、レズ、ボケ、エイズ、ジャンキーetc.これでもかというマイノリティーばっかり出てくるこの映画の中でたった一人だけ普通の人が出てくる。何をもって“普通”というのか問題はあるが、マイノリティーと世間的に見られないという意味において一般ピープルというか大多数側の人。さて誰でしょう? え?女優?ブブー。彼女はレズ。死んだ息子?あれは超がつくほどのマザコン。
そのたった一人はロサ(ペネロペちゃん)の母親。娘と意志の疎通がうまく図れていなくても彼女が唯一の一般的な人だ。その母親は娘のことを理解してやれなかったり感染を恐れたりと、映画の中で「敵役」に回っている。普通の人が敵役になるという“異常な設定”の映画である。彼女を悪人みたいに描いていたら私は本作をボロクソに言っていたろう。だが、そうではない。むしろ良心的に描いているとすら思える。あくまでサラッとマイノリティー側の視点で描かれた一般ピープル。
ここで一つのポイントは、マイノリティー側の人間は、必ず誰かを愛したり誰かに愛されたりしている。だが母親だけは違う。娘を愛しているのであろうが、それは自らの贖罪を伴うものであり、他の人々の様に無償のものではない。ただ、ここまでマイノリティーのオンパレードだと本当に「何が普通なんだか」と思えてくる。
この映画に男は4人出てくる。
死んだ息子、元夫(マヌエラとロサにとって)、惚けたロサの父親。赤ん坊。もうひとりオカマが出てくるが彼(?)は精神的に“女”であり、ロマとは同一ではない。これらをまとめると、男は「マザコン」で「種馬」で「手がかかる」存在だ、ということになる。当たっているだけに気に入らない。
私は、「世間の波に乗れない」ウダウダしたダメダメちゃんには感情移入してしまうのだが、この映画は「世間の波に乗れない」事を既に受け入れマイノリティーとして強く生きている人々ばかりだ。残念ながら、私はこうした「完成された人間」に感情移入がなかなか出来ない。
ただ、まあ、マイノリティー達の群像劇として観ると面白い。母性の映画だと言われてしまうと「へえ」ってな感想しかないのだが。
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