★2 | アシャンティ(1978/スイス=米) | 顔見せ程度にちょっと出ては消えていくロートルスター達が緩すぎる。ユスティノフは全然怖くないしホールデンは柄じゃない。一方で砂漠で光るアラブの男ベディは嘗てのシャリフをも髣髴とさせ光る。冷えた好食材は親爺温泉で生温くなった。 | [投票] |
★2 | ホフマン物語(1951/英) | 色男とも思えぬホフマンが恋の思い出を語っても全く入り込めず、結末はシニカルなのに篇中では作り手のスタンスが伝わらず居心地が悪い。3話とも幻想譚なのだが、同時代のコクトー等の作と比べても表現が稚拙。バレエに興味がなければ苦痛でしかない。 | [投票] |
★3 | ジョニー・スエード(1991/スイス=米) | ロカビリーやスエード靴やリーゼントへ偏愛を持つ野郎を見て笑って無視するか理解しようと努力するかだが俺は無視もしたくはないが努力したいとも思わない。そういうバカが1人いましたとさのヘタウマ諧謔が神話の域にまで達したら世界も変わっていただろう。 | [投票] |
★3 | 書を捨てよ町へ出よう(1971/日) | 全篇にわたりこれでもかと叩きつけ続けられるコンプレックスを起因とした暗渠じみたパワー。60年代の「新しい波」が触れた手を引っ込めた何かを引きずり出して晒すのには前衛の鎧での武装が必要であったのだろう。前にも後にも人無き道を往くのは痛々しい。 | [投票] |
★4 | 涙(1956/日) | 「結婚」とか「夫婦」といった題名の方が相応しいメロドラマ。主人公とその彼氏のイジイジとした煮え切らない物語に欲求不満になったとしても終盤10分の複層構造でたたみかける作劇で一気に解消されるだろう。進行形の今こそが全てで過去は忘却の彼方へと。 | [投票] |
★4 | 死者の学園祭(2000/日) | 部分的にショッカーに傾いた感が惜しいが、10余年の歳月を経て復刻された赤川次郎原作による正統的な角川学園ものの王道。どうでもいい話であるからこそ尚更に80年代にリアルタイムでその洗礼を受けた親爺どもはラストシーンに郷愁の涙を流すだろう。 | [投票] |
★2 | いとこ同志(1959/仏) | コンセプトと帰結は文句無いがサディズムが不足で余りに温い。こういう状況で当然にフィーチャーされるべき「孤独」や「疎外感」や「絶望」は女を寝取られたという在り来たりな嫉妬心に置き換えられる。物語を語ることに躊躇し誠実ではないとさえ思えるのだ。 | [投票] |
★4 | 春のソナタ(1990/仏) | 人生に於いて意図的に駆け引きを弄さなければ偶然は転がり込んでは来ない。そして、要件さえ整えば男と女はいとも簡単に恋に落ちるし簡単にそれは終わる。微妙なニュアンスをきめ細かく描いて闊達だが、それでもやはり最後は何かの結論を呈示して欲しかった。 | [投票] |
★2 | ランナウェイ(1997/米) | 製作を仕切ってお手盛り御用監督のもと天狗になっちまったクリス・タッカーが透けて見えそう。結果、素材としてのアナーキズムは雲散した。当然ながら拮抗するテンションはシーンには無いので2人揃って凡庸なストーリーを凡庸にトレースするだけ。 | [投票] |
★4 | シティ・オブ・ゴッド(2002/ブラジル=仏=米) | 引きの画のドキュメンタリズムとケレン満載の編集によりスタイリッシュに語られる説話は群像の中から3人の少年を抽出するが、その先は有りがちな退いた視座からの盛衰観測に収斂する。殺され殺す子供を描いて越境したモラリズムは今を討ってるのは確かだが。 | [投票] |
★4 | リバース(1997/米) | 主人公のクールな女性刑事が魅力的で、繰り返せば繰り返す程に事態が悪化するエスカレーション構造がヒットポイント。そこそこのアイデアであり演出もそれなりの低予算SFアクションだが押さえたポイントが明快だ。唯一肝心のタイムマシンがショボいっす。 | [投票] |
★4 | 怪談おとし穴(1968/日) | 完全に『東海道四谷怪談』の現代版焼き直しで、さすれば伊右衛門に相当する成田三樹夫のニヒリズムが真っ向的中。加えて、お岩(渚まゆみ)の微妙なる下品さが又堪らぬ味わい。夜間のオフィスビルの冷えたムード醸成にも成功したお買得現代ホラー。 | [投票] |
★2 | マシンガン・パニック(1973/米) | 地道な聞き込み捜査を描いた映画で冒頭のシーンが派手な見せ場とは言え「マシンガン」は兎も角「パニック」はないだろう。売らんが為の無茶な邦題が罷り通る時代が懐かしい。内容は覚えていないが今見れば通好みの渋さは見いだせるかも知れない。 | [投票] |
★3 | 家族の肖像(1974/仏=伊) | 『テオレマ』倒置形のような設定だが悠々自適引き籠り老人に対しての共感がヴィスコンティに内在する以上ドラマ性も緩くなる。『勇者』なみの更なる悪意と過激が欲しいところだし屋内美術に魅力が無いので『ベニス』のような陶酔美もない。老残臭がする。 | [投票] |
★2 | 愛の奴隷(1976/露) | 遠くで革命の嵐吹き荒ぶ政治の季節に享楽映画を撮り続けるが時代に背を向ける矜持があるわけでもない。末端シンパに女優をオルグらせてみせてもミハルコフの本質は快楽イズムにあることは透けて見える。ただラストシークェンスだけは突出した詠嘆を残す。 | [投票] |
★4 | ペインテッド・デザート(1993/日) | 好きこそ物の上手なれでアメリカかぶれ原田の特質みたいなのがビデオ映画『タフ』連作で見出し獲得した一応の職人芸と最良の形でマッチングし違和感無くはまった。木村一八がアメリカの役者や風景の中で全く浮いて見えないだけでも凄いことだと思う。 | [投票] |
★2 | 未来世紀ブラジル(1985/英=米) | 管理社会の風刺だとするなら直球でやればいい。鼻について仕方ない気障っぽい意匠は不要だし一歩譲っても統一感に欠ける。西洋的なものにオリエンタリズムと南米風味をトッピングすればカフカにでもなれると思ってるらしい。内実を伴わない表層の極みだ。 | [投票] |
★2 | ダーティハリー4(1983/米) | 敵と1点相容れる要素のない完全無欠の対立軸上にこそ成立するハリーのキャラを安っぽくメロウな設定で御大自ら台無しにしてしまった。それが証文の出し遅れみたいな7年ぶりであり且つ又かのソンドラド真ん中となると最早擁護すべきものは見いだせない。 | [投票] |
★3 | 恋のためらい フランキーとジョニー(1991/米) | ファイファーの諦観は穏当なのだがパチーノに疲弊が過剰にあり、為に本来の設定がもっている片隅感が減殺される。目の下に隈を作る疲れた風情は天下一品だが一転ことが起こるとハードにやりすぎる。そういう狂気すれすれの演技の片鱗は場違いなのだ。 | [投票] |
★2 | 推定無罪(1990/米) | スタッフ・キャストの面子だけはやたら揃えたが斜陽パクラの下では緩い映画にしかならなかった。振り回されるだけのフォードに主役としての精彩無く木偶の坊と化する。デネヒー、スカッキの欧州勢登用もこうも役が仕様もないと殆ど効果無い。 | [投票] |