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[コメント] かぐや姫の物語(2013/日)

実はもっと「映画」のルールからの自由(それはいわゆる実写映画における撮影や編集の制限からの自由)を期待していた。そういう意味で瞠目したのは、矢張り誰もが驚愕するであろう、後半の、かぐや姫が御簾の中からいきなり逃げ出し、疾走し、山を駆け回る、ちょっと凄いスピード感の創出部分ぐらいなのだ。
ゑぎ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 竹の中の小さな女の子の登場から特に前半部分にかけては見事な造型だと思うが、全編通してぶっ飛んだ突出感はこの御簾からの疾走シーンだけ、というのは少し寂しい。ただ、本作の映画としての図抜けた美点は、かぐや姫の状況及び行動原理が随所で合理性を欠いていても、なんら説明しようとしない、という図太さではなかろうか。簡単に云えば、全く普通じゃない。それを当たり前として話が進んでいく(周囲も全然気にしない)、我々は唖然と画面を見つめているしかないのだが、しかしとても面白い、ということだ。先に上げた御簾から飛び出していく疾走シーンが最たる例だが、他にも例えば、彼女は異様に成長が早い。地球人ではない証だが、皆それほど疑問に思わない。こういった理屈に合わない(理屈の通らない)プロットが延々と続いていくのだ。なのに、我々観客も訳の分からないことをうっちゃって、次の場面を楽しんでしまうのだ。それは、これが日本人なら誰もが知る物語だから、という以上に画面の面白さがゆえにほかならない。

 また、本作は全く解放感のない映画だ。竹の中に隠蔽され生まれ、長じても囚われの身。月へ帰ることを願ったためにお迎えが来ると云うが、どうしてお迎えを拒絶することができないのだろう。何から何まで物語世界の勝手なルールに支配され縛り付けられている。こんな解放感のないアニメが他にあるだろうか。しかし、これも元の竹取物語がそんなお話だからか。いや違うだろう。本作の製作者が徹底して主人公をそして観客を解き放とうとしないのだ。それを最も感じるのは、捨丸と空を飛ぶシーンだ。なんたる悲壮感。人が空を飛ぶシーンで、それもアニメ映画で、これほど幸福感のないシーンは初めて見た。観客はこのシーンの前に捨丸に妻子があることを見せられている。つまり、作り手は観客に対して複雑な心境で見ることを強要している。

 ラスト、月からの迎えは対位法的な能天気な音楽を伴って降臨する。ある種、脱臼技の面白さでもあるが、本作は恐るべき悲劇であるにも関わらず、見る者を暗黒に陥れるでもなく、宙ぶらりんにして放り出す。この白々しさこそ、他に類を見ない究極の悲劇かも知れない。このような高畑勲の徹底性こそ、他のアニメ映画に見ることのできない比類なき高みだとも思う。

 ただし、私には少なくもある種の徹底的な悲劇に感じる爽快感を、この宙吊り状態からは感じることができなかった。『火垂るの墓』に感じたような。

(評価:★3)

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