★4 | 三人の女(1977/米) | これでもかの細緻でリアルな悪意の奔流で造形された女たちが、とある契機で変容を始めて最後には彼岸の平穏に至る物語でベルイマン影響下のアルトマンが対極的な寛容を提示した。ロケ地の寂寥と緩やかなズームがマッチし世界との孤絶は弥増される。 | [投票(1)] |
★4 | M★A★S★H(1970/米) | 真面目では狂うしかない野戦病院の混沌を現世に食い止めるが如き屋外スピーカーからの随時の放送。アルトマンのマスな状況描写の巧さは惚れ惚れする。エリートである主人公達の諧謔的な反権力志向が垂直思考のダサさをかわすが弱くもある。 | [投票(1)] |
★5 | ゴスフォード・パーク(2001/英=米=独=伊) | ばら撒きまくったネタのそこに最後の締めをもってくるのかという心地良い収束。脚本の勝利と思うが闊達なアルトマン演出も老獪そのもの。キャスティングのはまり具合も良く、迷宮のような地下世界の圧倒的な造形に心躍る。 | [投票(3)] |
★4 | ナッシュビル(1975/米) | カメオ実名人を虚構に混在させたノンフィクションもどきのフィクションは50人以上の主要人物群の悲喜交々な寸景を一所にぶち込み掻き混ぜ泡立てる。包括的にカオスを狙った編集が成功し祝祭と音楽が形成するグルーヴは政治とテロに分断されても尚続くのだ。 | [投票] |
★5 | Dr.Tと女たち(2000/独=米) | 伝統的スクリューボールを基底とした女だらけで化粧の匂いが充満するかのような濃厚な前半も、フェリーニが匂う終盤を経ての達観したかの如きラストも良いが、仕事も家庭もどうでもいいぜ、悩みなんかぶっ飛ばせとばかりの嵐の中の結婚式が真底見ものだ。 | [投票(1)] |
★3 | ビッグ・アメリカン(1976/米) | 既に役者として伝説領域に降り立ったニューマンを皮相的に伝説否定の表舞台に立たせる諧謔がらしいと言えばらしい。停滞しまくる展開は盛り上がらなくもそれこそ意図であったろうが、未だ欠けたのは滋味と余裕。ところどころ良いところもあるにはある。 | [投票] |
★5 | 今宵、フィッツジェラルド劇場で(2006/米) | ギャリソン・キーラーの業界人としての身ごなし・佇まいが素晴らしく、彼を軸にした芸達者のアンサンブルは最早神業レベル。何より思いやりと暖かみが全篇を被う。緩やかなズームとパンを併用したカメラにさえ愛が宿ったかのよう。編集のキレにも唸った。 | [投票(8)] |
★3 | ザ・プレイヤー(1992/米) | 技法への拘泥や豪華ゲストが喧伝され、ミステリーとしての本質が呼び込むダイナミズムが消失。コーエンやポランスキー向きの題材をアルトマンが悪方向に捻じ曲げてしまった。長廻しは弛緩し、カメオは所詮カメオで得意の群像劇の本質から遠い。 | [投票] |
★5 | BIRD★SHT(1970/米) | 「鳥になって大空を飛びたい」などと言うメルヘンチック願望は、完膚なきまでに嘲笑され貶められ、糞まみれの毒で彩られる一大バーレスク。しかし、出演者が皆アルトマンに心から愛されているらしい羨望の楽園の現出。諦念や苦渋さえも暖かい。 | [投票(3)] |
★3 | ロング・グッドバイ(1973/米) | チャンドラーとアルトマンの喰い合わせが問題。雰囲気身上の足し算の結果ミステリーとしてのロジックは消失。何がどうなってるのかの人間関係がさっぱり。撮影がズームと移動を使いまくりで微妙なニュアンスを形成し棄て難い茫洋感があるにはある。 | [投票] |
★4 | クッキー・フォーチュン(1999/米) | 1人の死から巻起るドタバタの主線は娘姉妹の筈だが何故か拡散し出した流れは姪と本筋からズレた挿話に全て持って行かれる方向性の定まらなさ。しかし、そんなことがどうでもよくなる南部アメリカの日向の午睡の如き茫洋感が全ての欠如をカバーして余りある。 | [投票] |