★5 | おカネと清作がはじめて対等に向かい合えたその瞬間、二人にはいかなる世間の嘲笑や迫害にも耐えうる覚悟ができたように思え、ひたすら涙がこみ上げた。 (太陽と戦慄) | [投票(1)] |
★5 | 振り返りざまにみせる若尾文子の笑顔。 [review] (田原木) | [投票(5)] |
★4 | 冒頭、若尾文子の登場は後ろ姿。丘の上のような場所で海と工場(造船所みたいな)を見ている。すぐに正面バストショットに切り換わり、目をつぶってタイトルイン。 [review] (ゑぎ) | [投票] |
★5 | 若尾文子はこういう女の役をやらせたら天下一品![追記あり→] [review] (直人) | [投票] |
★5 | 内容ももちろんだが視覚的にも凄まじい映画。今見ても全く古びていない。 (赤い戦車) | [投票] |
★5 | 「村の面目まる潰れじゃ」←誰がそんなうまいことを(ry (TOMIMORI) | [投票] |
★5 | 男にも女にも、人には一生を棒に振ってでも手に入れたいものがきっとある。恐ろしいまでに昂ぶる情念の渦。そして冷笑する人々の灰色の瞳と永遠の孤独。 (マッツァ) | [投票(3)] |
★5 | 主語が「私」か「我々」か。「私」を貫き通すカネにとって、清作が「我々の村」、「我々のお国」という避難場所に逃げ込み「私」として対等に向き合おうとしない限り二人の「私たち」の関係は成立しない。増村保造の蔓延する偽善愛への異議申し立て。
(ぽんしゅう) | [投票(4)] |
★5 | 唐突に始まり、唐突に終わる。この手法に軽く目眩を覚える。終了後も劇中終始流れていたおどろおどろしい音楽が脳に染み込んでその余韻に揺さぶられる。そしてしばらくすると若尾文子に呆然としている自分に気が付く。完敗です。 (sawa:38) | [投票] |
★5 | これは断じて反戦映画などではない。一個の純愛映画である。エゴイズムに充ちた愛など単なる自己愛だ、という人がいるけれどエゴのカケラのない愛だって単なる自己陶酔じゃないか。『清作の妻』見やがれ、と云いたくなる、そんな作品。 [review] (町田) | [投票(3)] |
★3 | 純愛礼賛として見ても共同体批判として見ても、一人一人の登場人物から品性や知性や見識を抜き取って映画の傀儡にした上でのこと。そこを高く評価するつもりはないが、「こう見て欲しい」という監督の思惑を軽々と超えて近づき難い存在感を放つ若尾文子に脱帽。 (ジェリー) | [投票] |