★4 | アイアン・スカイ(2012/フィンランド=独=豪) | プロパガンダ・コント、ワグナー引用、ナチスネタなどの頭良い系の笑いから、盥が頭にごっつん系の古典的笑い、突然真顔になるラストなど、按分と采配が程よく、とてもクレバー。基本はタイムスリップ+カルチャーショック型のテンプレ的な笑いだけど、「カルチャー」がナチス、っていうのが良いセンス。モンティパイソンが撮っても面白いだろうけど、きっと悪酔いするだろう。安心して気楽に酔える、よい毒。 [review] | [投票(2)] |
★2 | 北国の帝王(1973/米) | 轢死体に呑気な劇伴や晴天が被さる開幕で、呑気であるがゆえにかえって惨劇が日常に埋没した大恐慌的地獄が露わに。ここで傑作の予感がしたのだが、後の弛緩からして、単に一貫してないだけだと思われる。諧謔ともガチとも取れないシナリオに戸惑うばかり。しかもその困惑は企図したものじゃないだろう。キャラダインの小僧キャラは設定、ビジュアル、声質など、全て不愉快。 | [投票(3)] |
★4 | その男、凶暴につき(1989/日) | ギャグと恐怖の境界線で暴力を爪先立ちさせる無敵の手腕を感じさせる。わずかに(ここ重要)不気味なコント寄りの前半から真性の暴力に至る後半への匙加減の繊細さと危うさに鼓動が早くなる。生きたいでも死にたいでも殺したいでも殺されたいでもない、あるいはそれら全てのような、濃密な空虚の気分。逆光で武を捉えるカメラの禍々しさには黒沢清もビックリだろう。 | [投票(5)] |
★2 | 渇き。(2014/日) | 虚飾に虚飾を塗り重ねる不遜さは『告白』ではテーマと(図らずも?)合致してる感があったが、改めて底浅を露呈した。一種の不遜さは映画作家の要件だと思うが、空疎であることを偽る技術ではないはずで、虚飾が虚飾でしかない。この監督は映画の何かを冒涜しているように感じるのは私だけだろうか。『パコ』ほど頭にも来ないが、正味どうでもいい。キッタナイ役所さんは大好物なのに、この監督のセンスだとキライになりそう。 [review] | [投票(5)] |
★2 | ドライヴ(2011/米) | 寡黙でカッコイイ、というよりもボーッとして愚鈍にすら見えるゴスリングに絶句。キャラのみならず彼を切り取るスローモーションや編集がまずい。で、こういう類型的キャラへの脱臼的批評性がある訳でもなく正攻法なのが苦しい。何度も街を俯瞰で撮りながら「街」を全く描けていないのもみみっちく、ジャンル的に致命的と思う。パールマンも不憫だが「マリガンは俺の嫁」的な戯言は一つ、弄しておきたい。かわいい。 | [投票(3)] |
★4 | アウトレイジ ビヨンド(2012/日) | めんどくせえ、という倦怠からこそ真に苛烈な暴力が生まれる、という表現の元祖が誰か知らないが、北野武が元祖なのではと思わせる達成。いつでもその空虚の表現は巧かったけど、その逆ベクトルのキャラクターは面白いと思った試しがなかったところ、片岡=小日向の造形が異常に素晴らしい。悪徳刑事、という枠を超えた巨大な禍々しさがある。 [review] | [投票(4)] |
★3 | 地獄でなぜ悪い(2013/日) | 奔放に見えるのはポーズで、タランティーノ的(深作的なのかは知らない)映画的倫理観に関する評を映画化したような、頭でっかち感がある。この点割と知ってる話で、いい加減で出来レースな展開も醒める。が、地獄を天国にすり替える『堕落論』好きが丸見えの監督のスタンスはやはり好き。血の海で歌って踊って啖呵を切る少女を、狂気や虚無として描いていない。あと主題歌。 [review] | [投票(7)] |
★5 | ゼロ・グラビティ(2013/米) | 人間がクルクルと無重力に翻弄され、「宇宙」が襲いかかる画は『2001年』を想起させるが、冷笑で支配するキューブリックとは真逆を行くエモーション。体の重さを失って心の重さを知る。心の重さを知って、大地を踏みしめる。これは「生まれること」についての物語だ。再突入シーンの「死と虚無に追いつかれないように速く!もっと速く!」という臆面もない熱さに射貫かれる。これをこそ待っていた。(修正改稿) [review] | [投票(10)] |
★3 | 砂の惑星(1984/米) | 劇中の「スパイス」の熱に浮かされたようなリンチの鋭敏で変態的な五感を、強制的に共有させられる。この拷問的事態が面白いかと問われれば、やはり面白いと答える(五感が優れた映画はいい)。主題たる「スペースオペラ」は二の次感が甚だしく、あらゆるセクションでの怨嗟の声が聞こえるようだが、迷作の愛嬌が半端なく、忘れられない一本になっている。 [review] | [投票] |
★4 | リパルジョン・反撥(1965/英) | 性にとどまらない生への嫌悪と吐き気の映画だが、嫌悪は果たされない願望の裏返しとしてある。ドヌーヴの目は、閉じるわけではなく、何かを探すようにぎこちなく宙をさまよう。このオープニングからして、ポランスキーの観察と実践は嫌らしいほど精緻で説得力がある。ポランスキーの作家性の本質は五感のレイプ、「侵(犯)すこと」なのだと思う。この技巧のいけにえが、切実な「青春映画」を浮かび上がらせる。 [review] | [投票(7)] |
★5 | 今宵、フィッツジェラルド劇場で(2006/米) | 生とか死とか、何か「神」らしきものにしっかり首根っこを掴まれながらも、達観とか明鏡止水みたいな言葉ではしっくり来ず、もとより諦観や虚無では決してない、影を知るヒトでなければ決して感受できない幸福の境地。それをジジ臭い説教でなくバッドジョークと優しさでカマしてくる粋の極み。頑張ろうぜとか言わないし。猥歌をキメてドヤ顔するハレルソンとライリーに涙が止まらない。 [review] | [投票(4)] |
★4 | ミッション:8ミニッツ(2011/米) | 大義とシステム(=運命=source code)のために死んでからも繰り返し殺される命。これに反駁し世界を変えるのは「システム」の綻びであるところの「人間性」であるという王道。加えて「世界はどのようにでも在ることが出来る」という世界の「自由」と「可能性」への信頼があたたかくてうるおうし、エンタメで語ってくれるのが嬉しい。「時よ止まれ、お前は美しい」。 [review] | [投票(1)] |
★3 | 裸のランチ(1991/英=カナダ=日) | クローネンバーグの「やってやるぜ」感が作為的で乗れない。最終的には天然で撮ってると思しきリンチとの格の違いはここだと思う。ハナシはいいから画だけ見とけとか言われても無理なのだが、ラストシーンの寒々した、かつ虚ろな絶望の風景には垂涎。クローネンバーグの曇天にはショアがよく似合う。近作の画の旨味の萌芽。 | [投票(1)] |
★5 | ザ・マスター(2012/米) | プロセシングの真贋に監督の興味はない。ポルノを扱った時と同じ優しさだ。猜疑の視線に曝されつつ「始まって(始めて)しまった人生」達の作る「家」の物語。酷薄な画の切り貼りの裏で涙を流しているように見える。『ブギーナイツ』の優しさを『時計じかけのオレンジ』から冷笑を除いた滋味と前作来の鋭い筆致が引き立てる完璧さ。「俺はもはやこう生きていくほかない、お前も生きられるように生きるしかないが、そう生きろ。」
[review] | [投票(5)] |
★4 | ムーンライズ・キングダム(2012/米) | 真・『小さな恋のメロディ』。偏執的に端正な画面と対比して、子どもの「純粋さ」を軸に、予測不可能な「不穏」が漲っている。この不穏が世界を瓦解させ、やはり「不穏」により再構築される。納得だし「純粋=不穏」の表現は刺激的だが、知った話とも思うし、この監督さんにはもっとキャラに肩入れした、しょっぱくもほろほろ温かい情緒を求めたい。ちょっと巧すぎる。 [review] | [投票(4)] |
★3 | シンデレラ(1950/米) | 一部価値観が前時代的。王子が空気、というか只の面食い野郎ではないか、という致命的違和感が拭えない。継母の外道振りもやり口が姑息でみみっちく、魔王の名を冠する猫で補完するなど、造形に弱さが。その辺は原作の所為にして、即日舞踏会をゴリ押す国王(これって暴君よね)のデタラメ剣術(剛剣)や、太閤とトランポリンで戯れるナンセンス、ネズミなどマイノリティへの情愛が屹立するのがディズニーらしさ。 | [投票(1)] |
★4 | 不思議の国のアリス(1951/米) | ブレインストーミング的に乱射されるキレた戯言が、突如ぞっとするようなフレーズを紡ぎ出す。「はじまりとおわりがひっついた〜」「生まれなかった日に乾杯!」etc。時計(理性?)を破壊するシーンの恐怖感が輪をかけて快感。もちろん原作の力だが、明るい狂騒演出に妥協なく徹して深淵をのぞきこむ、ディズニーの「ドラッグムービー力」の高さに感嘆。落下しながら「心配ないわ〜w」と手を振るアリスがクレイジーで萌える。 | [投票(1)] |
★4 | カーズ(2006/米) | 車の擬人化はお子様商業への迎合かと思ったが、人生の機微を「スピード」で語るための必然と分かり、全て腹に落ちた。共に生きること、恋、チームプレー。時代に取り残されること、追い付き追い越すこと。戦うこと。落伍。それはつまり、同じ速度を走ること、或いは走らないこと。終盤では、全ての「走る」アクションが酸いも甘いも含んだ感動に昇華するラセターマジック。 「君はどんな速度を生きている?」 [review] | [投票(1)] |
★3 | エリジウム(2013/米) | デイモンとコプリーのド突き合いへの収斂は「革命」の活劇を矮小化した一方、政治+福祉+技術配分の偏りが生んだ「歪んだ結晶」の衝突としてグロテスクな見応えあり。強化骨格を着用型でなく生身に埋め込む「半人」感、無菌的CGに対峙する血と錆と埃、混沌を強引にヒューマンで締める手塚的センスも嬉しい。が、フェイクドキュメンタリを採用出来なかったことで状況説明の甘さが露呈。テーマ群が未消化で勿体ない。 [review] | [投票(6)] |
★4 | 哀しき獣(2010/韓国) | 延吉(中国)の朝鮮族街と、密入国の窓口となる韓国の場末では、殆ど街の色に違いはない。その近接感に関わらず、濃い「遠くに来ちまった」感。それは後戻りできない物語を高速カット割で煽って運び去るスタイルが的確な上、朝鮮族による、「民族/国家」の近いようで遠い、憎悪と羨望の微妙な距離認識を正確に演出に投影しているからだ。その距離のゼロ化=越境・接近が喰らい合いに至るしかない悲劇。凍えて飢えた画面も◯。 [review] | [投票(6)] |