★3 | 時をかける少女(1983/日) | 作りが刹那的すぎる。音楽に頼りきったムード醸成にしゃらくさい画像処理。少しぐらい普遍性への志向というか時代を越える作品にしようという意思があってもよいのではなかろうか。しかしそれを救うのはこれもまた刹那的に可憐な原田知世だ。照明操作は基本的に不味いが、薬品の気体はよく撮れている。 [review] | [投票(1)] |
★3 | ピースメーカー(1997/米) | ニコール・キッドマンの初登場が「水着姿」というのはまだしも、続けての「濡れ髪にスーツ」というフェティシズム炸裂はさすがに女性監督離れしている。むろん誉め言葉である。列車・自動車・ヘリコなど乗り物を使ったアクション演出も力強く頼もしいが、力の抜きどころを分かっていない。面白いが、疲れる。 | [投票(1)] |
★3 | ノン子36歳(家事手伝い)(2008/日) | 「自転車」と「ヒヨコ」という素敵アイデアが出た時点でこの映画の面白さは決まりなのだが、「音」の設計(音の有無/変化)に主題的に取り組んだ聴覚的な映画でもある。音を巻き散らして移動する坂井真紀(履物・自転車)。冷房の作動音。土鳩の鳴き声からヒヨコの鳴き声へ。祭りの喧騒、を打ち消すチェインソーの轟き。 | [投票(1)] |
★3 | 蘇える金狼(1979/日) | ファンタジー映画。作中人物全員が我々とは異なる論理体系に則って生きているとしか思えない上に、南原宏治登場前後から映画は臆面もなく面白キャラ大会へとシフトする。そして成田三樹夫やら岸田森やら千葉真一やらを差し置いてきっちり優勝してみせる松田優作。云うまでもなく、それらはすべてこの映画の長所である。 | [投票(1)] |
★3 | 無宿(1974/日) | 三人の関係性に必然性は希薄なのだが、勝新太郎がそれを捏造・保持しようと孤軍奮闘する。いいかげんな作劇だ。が、勝のそのさまこそが感動的でもある。幸せも哀しみも「砂浜」に展開させるのは映画空間の力学として適当。梶芽衣子の演技がこれで適切かは疑問。音楽は情緒を過剰供給して邪魔。 | [投票(1)] |
★3 | ワールド・オブ・ライズ(2008/米) | 映画の肝であるべきレオナルド・ディカプリオ-ラッセル・クロウ間の距離の操作が不適切。クロウの動かし方や「携帯電話」「偵察映像」の雑な使い方がどれほど緊張感を削いでいるか。それは現実のテクノロジーに対する映画の敗北でもある。砂埃で偵察映像が役に立たなくなるという演出だけはよい。またマーク・ストロングは格好よい。 | [投票(1)] |
★3 | 旅情(1955/米=英) | このキャサリン・ヘプバーンの顔面はすべての瞬間において「孤独」の相を示している。それは旅行者の、という以上に絶対的な/実存的な孤独だ。その孤独の深さが作品に単なる観光メロドラマ以上の陰影を与えている。ヒルドヤードの撮影も上々。無人の町の画面がまるで世界の終わりの風景のようなテクニカラーのベネチア。 | [投票(1)] |
★3 | メリイ・ウイドウ(1934/米) | 中盤、二人が踊るカットと大量のペアがシンクロして踊るカットを交互に連続させたダンスシーンは全面鏡張りの部屋に迷いこんだかのようなシュルレアリスティックな美しさで、ダンスの画面としては空前の造型だ。ここに限って狂気性が突出している。終盤の牢獄は芝居の場として面白いだけでなく、美術も実によい。 [review] | [投票(1)] |
★3 | DISCO ディスコ(2008/仏) | きょとん顔が絶品のめっちゃキュートなエマニュエル・ベアールに胸がきゅんきゅんして窒息するか思った。などということはまあどうでもよろしい。当然のごとく新味はないがフランク・デュボスクの柔らかに傍若無人なキャラクタさえ受け容れられればじゅうぶん楽しめるよう定石どおりに仕上げられている。 [review] | [投票(1)] |
★3 | イントゥ・ザ・ワイルド(2007/米) | 「名前」の物語。一見訓話のようでその実いかなる教訓も導き出せないのは演出家が選取した作中人物との距離に由来する。私的な嗜好を云えばエミール・ハーシュはより散々な目に遭い、「バス」はよりフェティッシュに扱ってくれたほうが面白い。アメリカ映画における「アラスカ」を考えるにあたり欠かせぬ一篇になるだろう。 | [投票(1)] |
★3 | 悪太郎(1963/日) | 端正。実に端正な画面だ。しかしクラシカルではない。モダーンである。そのモダーンぶりは「大正」の語が喚起する印象と確かに相通じている。あるいはこれ以降の作品に顕著ないかにも清順的な奇異で美しい画面群も「畸形的にモダーン」なものだと云えるかもしれない。モダーン清順。モダーン悪太郎。 [review] | [投票(1)] |
★3 | コドモのコドモ(2008/日) | 季節を大事に撮り、ときに激しく雨を降らせ、丁寧にカットを積み重ねてファンタジーとしての語りに現実性を吹き込んでいる。しかし力強く映画に楔を打ち込むべき「決め」のカットが弱い。甘利はるなのいくつかのクロースアップや教室中の児童が一斉に立ち上がるカットがそれだ。悪くはない。が、もっと興奮がほしい。 [review] | [投票(1)] |
★3 | 真昼の死闘(1970/米) | 矢が飛んでくる瞬間の唐突さやその矢を引き抜くシーンの粘着的な描写にシーゲルのユニックさがある。時折のズームアップが興を醒ますほかは、ガブリエル・フィゲロアの撮影は概ねすばらしい。だが、とりあえずはロケハン(および美術)の勝利と云ってよいだろう。 [review] | [投票(1)] |
★3 | クローネンバーグの デッドゾーン(1983/米) | この静謐さこそがクローネンバーグの最大の特質だろう。透明な静謐さのうちに「何か」を展開させてゆくという方法論。「何か」とはまさしく未知の項であり、そこには作品や場面によって異なるもの―暴力性/痛覚/グロテスクネス/哀しみ/笑いなど―が代入される。ここではとりわけ哀しみが。 [review] | [投票(1)] |
★3 | フォロー・ミー(1972/英) | 「視線」と「距離」という主題の採用は映画にふさわしいが、成功はしていない。演出に厳格さが足りないのだ。トポルの背負い投げ時のカッティングなど単純に拙い箇所も散見される。しかしファッションショーよろしくくるくる衣裳が変わるミア・ファローはとてもキュート。トポルも前半はよい。こういう観光映画もアリだろう。 | [投票(1)] |
★3 | 探偵物語(1983/日) | 松田優作の平凡かつ陰のある男の造型がよい。のだが、このプロットであれば私はどうしてもスクリューボール・コメディを期待してしまう。薬師丸ひろ子のアイドル的明朗とアクションの快活は松田の陰に侵され、根岸は畢竟それを叙情的に処理。人物/モノの前景・中景・後景への配置など画面設計は思いのほか丁寧。 | [投票(1)] |
★3 | イーグル・アイ(2008/米) | マクガフィンとして処理されるべき要素がむしろテーマの位置を占めること。究極的に発達したコンピュータ(・ネットワーク)においてはHAL9000的狂気よりも過剰な正気(正常な動作)が人間の脅威となると喝破していること。仮にそれらを「現代性」と呼んでみたところでこの映画のつまらなさは補償されない。 [review] | [投票(1)] |
★3 | ハチミツとクローバー(2006/日) | 対立を欠いた鎖状のキャラクタ配置が直に物語の輪郭となる(尾行者を尾行する関めぐみがそれを行動的に象徴するでしょう)。ところでこれは世界中のコマーシャルな映画の多くに共通して云えることだが、このような音楽のつけ方をして恥ずかしさを覚えないのだろうか。監督はミキシング室でどんな顔をしているのか。 | [投票(1)] |
★3 | ミッドウェイ(1976/米) | 当時「フィルムの使い回し」がどの程度頻繁に行われていたのか知らないが、いずれにせよそれはプログラム・ピクチュアの論理であって大作のそれではない気がする。スター競演の割に貧乏臭い。シーンごとの光量もまばらでルックの統一に無関心なのは明らか。致命的なのはキャラクタ配置の難による求心力欠如。 | [投票(1)] |
★3 | U−571(2000/米) | 音楽で場面を飾る仕方が浅ましいが、満身創痍の艦内で明らかに目つきのヤバいマシュー・マコノヒーが悟りを開いたかの如くやたらなひそひそ声で指示を出し始める辺りが面白い。馬鹿馬鹿しく全開した「暗さ」と「静けさ」への志向がよいのだ。潜水艦映画にかかわらず「閉塞感」演出で勝負をかけないのは狡いとも賢明とも。 | [投票(1)] |