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[コメント] ゴジラ(1954/日)

ここまで作家主義の香る映画だったとは。逃げまどう漁民たちの足下で繰り返し映される、やわらかな日だまりに揺れる木々の影。そして仰ぎ見る山の向こうにそびえ立つ、暗く巨大なモノ。その見事な対比。静かに進行する人間ドラマも、ストレートに胸を打つ。
tredair

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







特撮映画というジャンルさえ私には初めてだったので詳しいことはわからないが、これは「いち邦画」として、いや、「いち映画」として、実に見事な作品だと思う。完結で無駄のない編集も素晴らしいし、重く響き渡る音楽も抜群によい。

しびれる名場面については枚挙にいとまがないが、このページにおいては未だ出ていないところとして、私は<せりざわ>の家での最後の場面を特に推したい。

<えみこ>をめぐりライバル関係にもあるふたりがオキシジェン・デストロイヤーを使用するかどうかで揉め殴り合うのだが、その後、はずみで額を切った<おがた>のその血を、まるで聖母のようなポーズで<えみこ>が優しく拭う場面だ。

せりざわ、大失恋じゃねぇか!

<えみこ>は幼い頃から彼を兄として慕っていたと言うが、彼から見た<えみこ>は、唯一恋した生涯のマドンナで、そして、唯一心を許せる相手だったのだから、そんなラヴラヴな場面をまざまざと見せつけられるのはたまらないことだったろう。

だからこそ。だからこそ、<せりざわ>をいわゆる犠牲愛へと至らしめたきっかけの一つは、その失恋にもある。と、あえて私は言いたい。

<せりざわ>から<おがた>への最後のメッセージ、「ふたりで幸せになれよ」といった感じの言葉を聞いたとき、そこに至るまでの<せりざわ>の心の葛藤を思い、ひじょうに切なくなった。<せりざわ>は人類のためだけではなく、率直に言えば<えみこ>と<彼女が愛する人たち>のために、そして諦念や絶望ゆえに最期の行動を決意したのだ、と思ったからだ。

戦争であれ天災であれ、そこに人間がいる限り必ずそこには感情があり、ドラマが生まれる。この映画の素晴らしさは、その「人間」の「感情」を、「心の葛藤」を決しておろそかにしなかったことにも大きく起因していると思う。

ちなみに、同時上映で見た「ゴジラVSモスラ」がそれを確信させてくれた、ということも最後に付け加えておきたかったりムニャムニャ〜。<モスラは可愛かったけどね。

(評価:★5)

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