[コメント] ミュンヘン(2005/米)
“Home”とは祖国か?それとも家族か?
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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雪のような画質。凍えながら何かを希求するようなフィルムだ。
ラストシーン ―― 祖国に殉じ、また隣人をして殉じしめることに迷わず祖国へ帰っていった者、祖国に殉じ、疲弊しきった末に祖国を離れた者。二人のユダヤ人は静かな相克の果てに真逆の方角へと去って行った。前者は後者からの夕食への招きを断って。祖国のために個人の犠牲を厭わない前者は、後者が見せようとする家族の光景を拒んだのだ。
Homeとは祖国か?それとも家族か?祖国に尽くせば、家族が遠のく。傍にいてやれないばかりか、その幸福を血で汚すこの行為に何の意味がある?だが、母ですら息子の激痛に耳を傾けようとはせず、家族を超えた血の繋がりを説いてやまない。それは凄惨な歴史が人に刻んだ傷の根深さである以前に、帰る地を求め戦うことの重さなのだ。
映画が天秤にかけていたのは、対立する思想同士ではなく、この一つの単語を引き裂く二つの意味だったように想う。『E.T.』からそうだったように、スピルバーグは昔も今も家族から始め、むしろ国家には距離を置いた視点を貫いてきた。そして、今回も彼自身は家族という皿に立ちたいのだと思う。だが、反対側の皿の重みを痛感し、引き裂かれ、無言の慟哭を上げていたように思えた。
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