[コメント] 松ヶ根乱射事件(2006/日)
かつての日本では、この物語は地方の土着性の問題として語られていた。だが、バブル経済崩壊後のこの国には最早それは存在しない。人間の欲望は土着という拠りどころを失い浮遊する。だから山下敦弘らが描く倦怠と焦燥は、暴力と非暴力の狭間に置き去られる。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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山下敦弘は30歳の映画作家である。彼が成長し実感としてこの国の社会を体感したとき、すでに高度経済成長は神話として語れられ、バブル経済はまさに目覚めた後に漠然と思い起こす夢のようであっただろう。彼の住む日本は、もはや私たちの知る20年前の日本ですらなかったのだ。
山下ら若い作家たちが体感している倦怠と焦燥は、撃つべき敵としての実態はおろか、弾を放つ方向さえ定かではないのかも知れない。だからこそ光太郎(新井浩文)の乱射は、人間や事物に向けてではなく虚空に向けられ空疎に銃声を轟かせることしか叶わなかったのだ。
この映画には、平成の時代を生きる若者の「置き去りにされた今」が確かに存在している。
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