[コメント] プライベート・ライアン(1998/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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「戦争はイヤだ」程度でしか戦争を語れない人間が、ヘタにエピソードを盛り込んだ映画を撮るとこうなってしまうのか、と。
あんな任務を課されなくとも、戦争においては多くの屍の上に個人の命があることは、避けて通れない事実だと思う。なので味方同士の尊い犠牲みたいな描かれかたをするよりは、「ドイツ兵が死んだから、今自分達は生き延びているのだ」みたいな描き方をしてもらった方が、はるかに意義あることだと思う。そのあたりが余りにも一面的であると思うし、監督からはその一面しか見えてないのではと思うと、それは非常に危険なことだと思う。
物語が始まる前の冒頭の戦闘シーンと、任務を全うすべく戦う最後の戦闘シーンとで、同じように容赦のない描写にも関わらず、見ている側にはかなり違う印象を与えるのは、「ライアンを生かす」という大義名分のもとに、殺戮が正当化されかねない危険をはらんでいるからだと思われる。過酷な戦場において、正当化でもしなけりゃヒトは殺せないってことも確かにあるとは思う。ただそれを「狂気」や「不条理」でもって描いてるではなく、あくまで「感傷」とともに描いてるところが何とも浅はかで、さらには危険なことだと思うのだが。
さらに理不尽な任務は(例えそれに対し、個人がいかに無力であっても)少なくとも映画の中では糾弾すべきだと思う。上層部のズレて麻痺した認識、戦争を語る上でそれを糾弾しないで、他に無条件に糾弾できることなんてあるのだろうか?その不条理な任務を曲解し、意味ある行為として遂行しようとした人間を描いて感傷的に話を終えることに、何の意義があるのか全く分からない。
そして何より問題だと思うのは、こういった生半可な語り方しかできない人間が、妙に生々しく戦闘、殺戮を再現できることだと。影響力を持つ映像を見せるのなら、細心の注意を払って扱ってもらわないと困る。ガキに刃物を持たせるなってのは言い過ぎか?
ともあれ優れた再現者が、優れた語り部とは限らないことを再認識。「戦場」の再現ではなく、「戦争の構造」を再現することをもう少し考えて欲しいものだ。
追記:5点4点をつけられた方の意見もとても興味深く拝見し、また、自分では見出せなかった様々な切り口を教えて頂けた思いです。ただ今回テレビで見た際、冒頭の監督自身のコメントを聞く限り、どーもそこまで頭が及んでないみたいなので(皆様の方がはるかに真摯に「戦争」を考えてるみたいです)、寸でのとこで投票は見送らせて頂きました。ご了承下さい。
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