[コメント] マグノリア(1999/米)
映画を見終った人むけのレビューです。
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どうしようもない人たち。
自分自身の/愛する人の死を目前にして――過去に犯したあやまちを償うこともできず――愛があるのにそのはけ口がわからずに――うずくまる人たち。
あさましいほどに見苦しくもがき、泣き叫んで許しを乞い、愛を乞い、それでも何も与えられずに、ただ静かにあきらめることしかできない人々。でも、わたしには、そのあさましさや無力さをわらったり、罵ったりなんてできない。彼らの言葉が胸を打つのは、自分自身が相当にどうしようもないわたしのナルシズムだろうか。ジム・カーリングのベッドの上に掲げられた十字架や、彼らが唄う"wise up"の静かな歌声の美しさは、わたしのチンケな思い込みに過ぎないのだろうか。
どうしようもない人たちを描くポール・トーマス・アンダーソンの視線は、相変わらず優しい。と同時に恐ろしいほど冷徹だ。この映画には「ウソ」がない。もちろん、これはフィクションなのだし、最後にはとんでもないウソのような出来事が待ち構えているのだが、そういう意味ではなく、この脚本と演出には、人間を描く上でのウソやごまかしがひとつもないのだ。人間には汚いところもバカなところも美しいところもあって、この監督はそれを全部端折らないで描く。それが視線の優しさであり冷徹さであって、わたしは、そこに惚れ込んでしまったのだ。そして…
うずくまる人々。停滞する空気。そこに、この監督が起こした出来事の突拍子もないことといったら!
客席から笑い声が漏れる。
わたしも、あまりのバカバカしさに、笑った。笑って、泣いた。
さて、この「とんでもない出来事」によって、どうしようもない彼らは救われたのだろうか。
答えは、ノー。あなたも知っているように、奇跡のような偶然が起こったからといって、奇跡のような解決が訪れるわけではないのがこの世の常だ。
ただ、少しだけ頭を冷やして、少しだけ正気に戻って、また歩き出すことぐらいは出来るかもしれない。また同じ道を歩んでしまうかもしれないけれど。
とにかく、また新しい一日は始まる。いつもと同じ、それでも「新しい」一日だ。
嵐の明け方に、やさしい、あの人の声。あたたかい言葉。
微かな笑顔。最高にハッピーで最高に悲しい笑顔。
その笑顔の上に、また現れるかもしれない雨雲を、今は忘れて。今だけは、忘れて。
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