[コメント] ショコラ(2000/米)
よく掲示板でも見かける「荒らし」の人は、実は己の正義感で始める人が多い(荒らし目的のヤツも多いけど)。あるいは、荒らしている自覚が無い人も多いのだ。そして、荒らしまくったその後は己の満足感と達成感で去っていくだけだったりする。そこに残された常連の人々は心を傷つけられて、「ま、忘れよう」という切り替えで、元のまったり掲示板に戻ったりする。しかし、実際はまるまる元に戻ることは無い。どこか違和感を持ちつつも、元に戻ったような形に移行するのだ。当然、戻ってこない常連も現れる。しばらく、死にサイトになる事もある。ところが、この荒らす人ってのが、たまに居残ったりする時もあるのだ。しだいに丸くなって。
このシネスケでもそうだが、ある程度、書き込みの常連になる人達の最初の頃ってのはそんな経験を持っていると思う。初めはそのサイトの性質や各常連のキャラも見えないし、馴染む前に、がーっと自分の意見を出すだけ出すようになる。で、元の常連たちと、ぶつかったり、意気投合したり。で、そうなると、いつのまにやら、その荒らしてた人が常連になっていて、新たにやってくる「荒らし」に対して戦ったり排除したり賛同したりするわけだ。そうして掲示板は主役の名前と、その性質をどんどん変化させながら生き長らえて行くのだ。
で、なんでこんな話を…っていうのは、まあ、言わずとも判るだろうが、この図式がすっぽりとこの映画にもあてはまるんだね、と思ったからだ。
この閉鎖的な街にフラリとやってきたビノシェ親子は、その街の常識やルールを無視して、自分の都合で店を出すわけだ。そう、「何が悪いのよ!」って顔で。いや、悪くは無い。別に。ただ、場の雰囲気や様子を見てからやれよ、と思うわけだ。どんなに閉鎖的で暗い街だろうがさ。マーケットリサーチはすごい重要だぞ。ま、それは置いとこう。
このビノシェのタイプは、自分が「荒らし」になっている事も非があるという事にも気付かない、非常にタチの悪い人だ。彼女は自分の信念と正義感でのみ行動していて歩み寄りがない。彼女が歩み寄らないのと同時に、街の人たち、特に町長だっけ?伯爵だっけかが一番歩み寄らないが、自分が予想するに、彼自身も、かつて若い頃、町民を巻き込んで町を荒らした張本人なのではなかろうか、と思うのだ。いや、きっとそうだ。街の長老達の常識を荒らしまくって自らが常識となった男に違いない。だから、非常識が現れると拒否反応をしめしたのだ。この状況を打ち破るのは、ビノシェ以上の非常識な者の登場。これしかないな。そう、謎の東洋人がスーパーマーケットを出店するとかさ。でなけりゃ、こんな話、解決しないよ。ただ、そのオチだと、お伽話にならないけど。
あと、一言。彼女が否定した、町の形骸化したルール。簡単に「意味がない!」と切り捨てても、見ているこちら側に違和感が無いのは自分達もあの町のルールで生きてないからだろう。実際に無意味に感じる。けど、この今の自分達の生活を根底から否定する人種がそばにやってきたら、貴方ならどんな反応をするのだろうか?あくまで、この映画の主観はビノシェの生活に違和感を持たない人に見せるから成り立つ話だ。最初から正義は異邦人にあるわけだよ。それってルール違反じゃないか?設定を幕末の日本に置き換えて、黒船来航ーってのと同じなんですけど。西洋的文化の方が幸せでしょ?という押し売り。自分はアメリカ嫌いなわけじゃなく、むしろ好意的なほうだけど、どうよ、こうゆう部分は大ッ嫌い。アメリカ嫌いな人たちには、そんな匂いは感じなかったのか?このアメリカ映画には。
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