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[コメント] ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ(2001/米)

自分を認めてあげることほど難しいことはなく、自分に認めてもらえることほど嬉しいことはない。
ろびんますく

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







冷戦下の東側に住んだ経験も無ければ、性転換手術を受けたことも失敗したこともない。音楽は好きだがコアなロッカーであるわけではない。生まれてこの方女にしかそそられたこともない。

共通点はないのに、痛いほどぼくの心に干渉してきた。

それはヘドウィグの抱える感情や苦悩が、具体的な立場を超えたものだから。愛して欲しいという欲求、信じていた者に裏切られたときに感じる怒り、成功した者に対し感じる嫉妬、社会に自分の居場所がないことから感じる疎外感と焦りと不安、そして何より、自分のアイデンティティー・存在理由・存在価値についての悩み。これらは誰もが多かれ少なかれ経験したことのある感情や悩みなのではないか。

この映画は、ヘドウィグが途中で飛行したりすることからもわかるとおり、全てが現実なのではない。<カタワレ>を探すヘドウィグの心の旅。(その意味で、その他のバンドのメンバーに焦点を当てることがほとんど無かったのは音楽的にはさておき、映画としては正解だと思う。)

だから、最後にトミーが歌う歌は現実ではなく、ヘドウィグが心の旅の先で行き着いた場所。ヘドウィグが心で聴いた歌。そこで彼は気付くのだと思う。彼が探していたカタワレはもう既に自分の中にいること、それを認めてあげれなかったのは(他人よりも)まず自分だったこと、そして自分さえそのthe angry inchに象徴される自分<カタワレ>を受け入れてあげさえすれば、自分は「ひとり」になれるのだということを。

そう。確かにヘドウィグは最後には「ひとり」。でも寂しさは感じない。

だってもうカタワレじゃない。「完全な」ひとりだから。

明かりのある方向へ、裸で、まだ覚束ない足取りながらもまっすぐ前に路地を歩いていく彼の姿(これも彼の心を表しているんだと思う)に何を感じとるかは人それぞれだと思う。ぼくは涙が出た。嬉し涙。

−−−

以下蛇足

音楽関連のコメントが面白かったので、映画における音楽の使われ方について思うことを少しだけ。

ぼくは、映画で使われる音楽は「映画の中で」物語を支える(強力な)手段と捉えている。だから、その音楽が「映画の中で」人の心に訴えるものがあれば、その映画を離れた場において、後々サントラを聴いた時に大したことないと思っても気にならない。むしろ、映画で音楽を担当する人たちには後々に聴くサントラのことを考えて音楽を作るのではなく、あくまで「映画の音楽」ということを念頭において、それが映画の文脈の中でどう活きてくるのかを考えて作ってほしい。

主演・監督のジョン・キャメロン・ミッチェルは『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』のNY公演前、この舞台がブロードウェイが好きな人からコアなロックファンまであらゆる人たちの心に届くものにしたいと考えていた。その結果、使われる音楽は、ブロードウェイ層が聴くものともコアなロック層が聴くものとも違うものになった。それを妥協と切り捨てることはできる。しかし、ぼくには、それが「妥協」ではなく、舞台(あるいは映画)という持ち場だけでしか通用しないかもしれないが、その持ち場においては確実に心に直接干渉してくる「新しいもの」になっていると感じた。

映画という持ち場を離れたときのことはいい。映画で使われる音楽には、映画の物語と組み合わさった時にこそ、1+1が3にも10にもなるようなマジックを発揮してほしい、といつも思っている。

<最後にお気に入りのセリフ>「ブラを乾燥機に入れるんじゃねー」

(評価:★4)

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