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[コメント] 三大怪獣 地球最大の決戦(1964/日)

キングギドラ…スクリーンだけがおまえを生み出せたが、スクリーンさえもおまえには狭すぎた。
kiona

 キングギドラは、このデビュー作も含めて、一本たりとも理想の器に出会えていません。

 遡って考えてみましょう。

 『大怪獣総攻撃』…護国三聖獣という賛否両論の設定変更であったが、あれは千年竜王をキングギドラが“演じた”のであって、キングギドラそのものではない。

 『モスラ3 キングギドラ来襲』…暗黒の宇宙怪獣への回帰は正しかったが、子供向けに徹した映画で、しかもモスラ相手ではフルパワーを発揮できるわけがない。

 『ゴジラVSキングギドラ』…未来人のペットという設定には目も当てられない。宇宙怪獣という設定の回避が、東宝と日本映画の過去への敗北宣言であったことを自覚していたスタッフがどれほどいたのだろう。「おいおい、時代は21世紀目前だぜ? 宇宙怪獣はないだろう?」ところが、これは単なる想像力の喪失に過ぎなかった。ゴジラに限ったことじゃない。それほどまでにやせ細っていたのです、日本の映画界そのものが。その後、宇宙怪獣は復活します。レギオンというなかなかの役者の登場で。

 『地球攻撃命令ゴジラ対ガイガン』…ガイガンの脇に甘んじたばかりか、引き続き宇宙人の手先。しかもタッグマッチにおいてゴジラに一本背負いをくらうは、アンギラスの剣山にバッコンバッコンやられるは、それはそれは…おもしろかったです。

 『怪獣総進撃』…本編はそれなりにちゃんとSFしていたのだが、特撮はもうバトルロワイヤル状態で、ぼこられるキンちゃんは痛々しい限り。今見ると、こらバラゴンぼーっとしてるな、おまえとモスラぐらいはキンちゃんについてやれよ、なんて思ってしまいます。

 『怪獣大戦争』…映画としては最高ですが、宇宙人に操られるようなやつじゃないんですよ、本当は。文明の力が永遠に追いつかない所に、ブラックホールの暗喩でさえあるような宇宙大怪獣という冠詞の本質があるのです。

 で、本作『三大怪獣地球最大の決戦』…宇宙という不可侵の領域から何の前触れも無く突然訪れた根拠不在にして意味づけ不能の脅威。これですよ、これ。キングギドラがその性質にあって絶対的に正しかったのは、この一本のみです。ただ、本編は、そのキングギドラの性質を全く活かしきれませんでした。

 この夏木陽介若林映子によるローマの休日ゴッコという本編は、それ自体はとても好みです。異国の王女が金星人に体をのっとられていたなんて話はたまりませんし、キングギドラの脅威は最初に彼女の口から語られるのですから。でも、この本編は、非常に工夫が凝らされている反面、キングギドラのもたらす緊張感を台無しにしちゃってます。ゴジラとラドンをモスラが説得なんて腹抱えてしまいますが、キングギドラのデビュー作ですぞ? 他にやりようはなかったのでしょうか?

 結局のところ、本多、円谷の黄金コンビでさえ、このキングギドラを持て余したのです。…いや、誰がやろうと持て余すのだろうと思います。暗黒の帝王が想起させるスケールは、“最後には矮小な人類やゴジラにより撃退されなければならない”という映画という媒体そのものの限界を浮き彫りにしていると、そう思えませんか? 映画からはみ出して広がってしまうキングギドラのイメージを忠実に映画化しようと思ったら、映画の中で地球は滅ぼされなければならないということです。

 円谷特撮の想像力は際限がなさすぎた。その想像力が映画という媒体を超えてしまったところに生まれてしまったのが、キングギドラであった。そんな風に思えます。

(評価:★4)

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