クリストファー・プラマーの映画ファンのコメント
けにろんのコメント |
ゲティ家の身代金(2017/米) | 何を骨子に描くか定め切れてないので生半可。祖父は何故に払わないのかと、母は如何にして払わせたのかはどっちも拍子抜けレベル。折角クレジットトップならミシェルおっ母さんの獅子奮迅記にでもすれば背骨も通ったろう。無駄骨ウォルバーグも寂寥。 | [投票] | |
シリアナ(2005/米) | 少なくとも西欧原理主義的立脚点から脱しアラブの視座を挿入しようとするあたり成程『トラフィック』の脚本家らしい。9・11の本質的意味を考えさせられる。米帝国主義を撃つ侠気にこそ涙しよう。余りにソダバーグそっくりとしても…。 | [投票(2)] | |
ドラゴン・タトゥーの女(2011/米=スウェーデン=英=独) | 請負仕事を無難にこなしているが、抽斗の範囲に留まり新たな何かを模索した形跡は感じない。事件を追う主人公と無関係なリスベットの描写が並立する前半に穴があるのだから、どうせなら、もっと解体再構築するべき。彼女を徒に乙女チックにするのなら尚更。 | [投票(1)] | |
サイレント・パートナー(1978/カナダ=米) | サイコなパラノイアと小心な真面目男という構図は何時しか崩れ小心者はけっこう大胆になっていく。その変化を脚本は巧くは衝いてないので何処か大味。確かにクリストファー・プラマーは相当に不気味だが『殺しのドレス』のマイケル・ケインとダブる。 | [投票] | |
ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密(2019/米) | 富豪の相続に纏わる西洋版『犬神』は金田一ならぬクレイグのキャラ立ちもイケてグイグイ来るのだが、それでも特筆は不意打ちの如き男の死に様美学。移民や格差という現在形問題を差し込んだ古典仕様。カオスのような諸要素が一点集約されるラストカット。 | [投票] | |
Dr.パルナサスの鏡(2009/英=カナダ) | 21世紀の現代ロンドンの片隅に19世紀仕様の見せ物小屋を現出させての黒か白か解らん魔術のいかがわしき胡散臭さが全てで、故ヒースの役回りは正直わけわからないし、わからんから4人1役も違和感無い。で何となくラストで感動させられる。 | [投票(3)] | |
12モンキーズ(1995/米) | 時空を2元的に往来する物語が遂には円環を形成する点はさして目新しくもなく感興も覚えない。だが、冒頭からしてブルース・ウィリスの気合いの入り方が常軌を逸しており、その肉体性が如何にもなギリアム的プラスティック脳内映画に血流を送り込む。 | [投票(1)] | |
サウンド・オブ・ミュージック(1965/米) | 児童映画めいた戦時下御伽噺でも贅の限りを尽くした意匠と演出のシャープネスにかかるとヒネた大人でも涙する。結婚式や音楽祭の巨大なリアリティとアルプスの大パノラマの透明感に素直に感銘した。そして、今でも「エーデルワイス」を聞くと胸が熱くなる。 | [投票(1)] | |
ビューティフル・マインド(2001/米) | 終映後に甘いタイトルの逆説的な意味を噛みしめながら思った。この映画を余りに卒の無い演出と2段転調脚本の巧みな優等生振りから救ってるのは作り込んだクロウが発する狂気をとそれを受けて立つコネリーの発する迫真のオーラ。普遍は狂気に転ずる。 | [投票(1)] | |
ピンク・パンサー2(1975/米) | 品の良い連中が精一杯バカやってるのに嫌みになっていない。誠意をもって真剣にバカやろうとしているからだろうし、エドワーズもセラーズも選ばれし者ということだ。境界線上の均衡を擦り抜けたシリーズ最高作。アンスワースの撮影も十全だった。 | [投票(1)] | |
サンセット物語(1966/米) | ゴダールなファーストカットとジョン・ウーなラストシーンを持つ素晴らしく歪なバックステージもので、主人公を翻弄することに呵責無くマリガンのハードボイルド性が滲み出る。カマトトを超越するウッドの受け芝居の泰然が歪みを是正した。 | [投票] | |
インサイダー(1999/米) | 内部告発劇として特段な何かがあるわけでないのに、力のある演者と演出が噛み合い迷いなく同一方向のベクトルに乗ったとき映画は成立してしまう。衒いない主役2人の演技は抑制され直球勝負の醍醐味。透明感漲るスピノッティのカメラが素晴らしくクール。 | [投票] |